こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア54 ドゥシャンベ

夜が明け僕はフロントへ直訴しに行った。すると今度はすんなり4階の北側の部屋に替えてもらえた。バトルが待ち構えているものと予想していたから、あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまった。ともかく一歩前進だ。言わずにぐちぐちと溜め込むのは良くない。…

中央アジア53 ドゥシャンベ

ホログは立ち寄る価値があると言ったけど、ドゥシャンベはお世辞にもすることがあまりない。僕にとって唯一の仕事はウズベキスタンのビザを取ることだった。だから真っ先にウズベキスタン大使館に足を運んだ。 多分、ドゥシャンベでウズベクビザを取る人はち…

中央アジア52 ドゥシャンベ タジキスタン

ドゥシャンベでは街の中心から2㎞ほど南西に外れたところにあるファルハングというホテルに投宿した。ここはサーカスに近いという点を除けば何の特徴もない、飾り気を一切排した4階建ての典型的なソ連式ホテルで、外観を見ただけで中身はきっと期待できない…

中央アジア51 ホログからドゥシャンベへの道

2011年8月6日 今日はタジクの首都ドゥシャンベを目指す。移動手段は飛行機あるいは車だ。飛行機で45分、車で15時間だから迷わず飛行機を選択したいところだが、ドゥシャンベ-ホログは小型機が1日1便飛んでいるだけなので予約がなかなか取れない。僕もいち…

中央アジア50 ホログ タジキスタン

ホログに着いて時計の針を1時間戻した。ワハーンではバダフシャン時間と言って、タジキスタンの中央時間から1時間進んだ時間が採用されているからだ。そうすると時刻は昼の4時でまだまだ明るい。両替をしたり買い物をしたりするため町に出ることにした。 ア…

中央アジア49 ガラムチャシュマ温泉

僕はドライバーにいくら払うべきかをしばし考えていた。ムルガブからホログまでの車代は470ドル。うち半分の235ドルを前払いしているから残金235ドルだ。(ちなみにオシュからムルガブまでは2768キルギスソム=62.5ドル) つまり3人で割ると1人当たり78ドル…

中央アジア48 灰色の川 ワハーン回廊 パミールハイウェイday5

2011年8月5日 2011年8月5日 起床後、川のほとりまで歩いた。山岳の急流だったパンジ川もすっかり育ってここでは大河の佇まいで水はゆったり静かに流れていた。ここの川はメコン川の濁った茶色い水とは違って、ネズミのような灰色だ。こんな色の川は後にも先…

中央アジア47 とりとめもなくTRPVについて語ったこと

チキンスープの夕食後、まだ寝るには早い。他愛のない雑談を交わした。なぜか、「唐辛子に殺菌効果があるか?」という旅行者が食中毒の予防策として考えそうな話題に及んだ。 唐辛子を辛く感じるのは、辛み成分カプサイシンに対する受容体TRPV1を人が持って…

中央アジア46 ビビファティマの泉 ワハーン回廊

山を下りてウラングという村に向かった。ここには4世紀に建造されたピラミッド型の仏塔が残っている。「旅行人ノート」では、これを仏塔ではなくゾロアスター教の祭壇跡としている。とすると、仏塔の頂上に置かれた「ブッダの足形」は違う解釈になるだろう。…

中央アジア45 ワハーン回廊とは何か?

https://cdn.britannica.com/41/5341-050-0FDFBFFD/Afghanistan.jpg 朝食を食べてすぐ我々は出発した。ランガルから西へ10分ほど走ったところに良い展望台があるということで、車を降りて歩くことにした。麦畑を抜けて丘を登っていくが、なかなかの急坂で息…

中央アジア44 ランガル ワハーン回廊 パミールハイウェイday4

2011年8月4日 ランガルの標高は2800m。これはカラクル~ムルガブ~アリチュルと3,500~4,000mの高地を通って来た後には低く感じる。感覚的には標高3,000mあたりにしきい値のようなものがあって、それより下がると息を吸い込んだ時に空気の濃さが実感できるし…

中央アジア43 ワハーン回廊へ

峠を越えるとその名もまさしくパミール川という名の川が現れる。この辺りの標高はだいたい4000m程度だけど、周囲に突出して高い山がないせいで、雰囲気は全体になだらかな丘陵地といった風情だ。どこかから水が湧いてくるのか、水量は意外と多く流れは速い。…

中央アジア42 ワハーン回廊への道

アリチュルを離れてM41を少し走ると、よっぽど注意していないと見落としてしまいそうな細い分岐が現れる。この標識もない分かれ道がワハーン回廊への入り口だ。我々の車は左に進路を取り更なる辺境へと分け入った。この先、風景は単調で、草すら生えない月面…

中央アジア41 アリチュル村の魚のフライ パミールハイウェイday3

2011年8月3日 2011年8月3日 長い夜がやっと終わり朝を迎えた。エネルギーを得ようと朝食をなんとか流し込んだが、5分もたたないうちに嘔吐してしまった。気分が改善する兆しは一向に見えない。このままパミールの旅を終えてしまうのかと一抹の不安が頭をよぎ…

中央アジア40 ムルガブ パミールハイウェイday2 タジキスタン

2011年8月2日 朝から吐き気が強かった。水とリンゴだけ胃に押し込んだが、トイレに行った際、強烈な臭いに催され全て吐き戻してしまった。仕方なく水だけ追加で流し込んだ。 カラクルは9時に出発した。パジェロは今日も容赦なく飛ばす。大きな横揺れがずっと…

中央アジア39 出発 パミールハイウェイday1

2011年8月1日 その日は朝7時に起きて、部屋でヨーグルトと桃ジュースとポテトチップスという変な組み合わせの朝食を済ましロビーで車を待った。9時過ぎにやってきた三菱パジェロに乗り込み、残りの3人であるナヴィルとフランス人カップルを拾いオシュ…

中央アジア38 

ホワイトボードのアドレスからは直ぐに返信があった。フランス人カップルからだった。翌朝、打ち合わせのためオシュゲストハウスに赴いた。僕の他にあと一人、ナヴィルというアメリカ人が加わり計4人が揃ったのでいつでも出発できるという。車とドライバーの…

中央アジア37 タジクへ向けて

2011年7月29日 タジキスタン行きの足探しをおさらいする。 1つ目:バスターミナル。タジク方面へのバスは存在せず。 2つ目:トラック駐車場。全てのトラックを当たったが、タジクに行くトラックは1台も見つからず。 3つ目:チョンアライバーザ。何も情報を得…

中央アジア36 2010年キルギス南部騒乱

バキエフ政権下の5年間はどういったものだったのだろうか。アフガン関連の麻薬ビジネスを取り仕切り、息子がマネーロンダリングに関与するなど、決して清廉潔白と呼べるものではなかったようだ。発展途上国のリーダーがこうした裏ビジネスに手を染めている場…

中央アジア35 ジャララバード キルギス

ウズギョンに続いて、2010年の衝突でもっとも被害の大きかったジャララバード、バキエフの故郷に向かった。 ジャララバードはオシュやウズギョンと比べて、よりソ連的な町である。町の規模と不釣り合いに広く直線的な道路はビシュケクを思い出させる。しかし…

中央アジア34 ウズギョン キルギス

2011年7月30日 オシュの生活にも退屈していたので、バスに1時間ほど揺られ、オシュ北東50㎞の町ウズギョンに来た。この小さな町は、山から流れる2つの川に挟まれた場所に位置する。町は小さいものの人は多く賑やかで活気がある。町中を韓国DAEWOO社の軽自動…

中央アジア33 キルギス2010年政変

2010年にキルギスで起こった政変について簡単に振り返る。 キルギスの政治体制は脆弱である。1991年の独立以降、物理学者であったアカエフが大統領を務めてきた。アカエフは、中央アジアでは例外的とも言える言論の自由を一定程度認めていたが、独裁体制での…

中央アジア32 オシュ キルギス

2011年7月28日 これから南進してタジキスタンに向かうのだが、いくつかハードルがある。 まずはビザが必要となる。ただ、これは既にビシュケクで取得済だ。75ドルと少々高かったのだが、即日発給だったので殆どストレスはなかった。しかもなぜかシングル、ダ…

中央アジア31 オシュ キルギス

2011年7月 オシュでは、アライという旧ソ連式のホテルに泊まることにした。1泊400ソム(≒800円)。例によってベッドは狭く、横になると深く沈み込むが、窓からの採光は良好で雰囲気は悪くない。共用トイレは貴族の館のように異常に広く、一見荒廃したように…

中央アジア30 ビシュケクからオシュへ

2011年7月27日 スントの腕時計の控え目な目覚まし音で目を覚ました時、周りは完全に寝静まっていた。時刻は朝6時。空が白み始めているとはいえ、朝が遅いビシュケクの宿は物音ひとつせず、深夜のようである。音を立てないよう注意深く着替えを済ませ、部屋の…

中央アジア29 2011年中央アジアの移動について

中央アジアは小さな地域であるが、ルート取りは複雑怪奇で旅行者を悩ませる。ビザ、国境、疎な交通網、そして地形の4要因が都市間の自由な移動を制限するからだ。この複雑さは、中国旅行と比較してみるとよく分かる。中国旅行の場合は、とりあえず地図を眺め…

中央アジア28 ビシュケク 2011年7月

朝9時に目覚めたが、宿はまだしんとしている。キルギスの朝は遅い。この街には旅行者がすることが特にないのだから仕方ないと言ってしまえばそれまでであるが。少なくとも2011年の時点では、ビシュケクは「沈没」の街であるというのが、旅行者の共通認識だっ…

ゴーン被告の逃亡

一番好ましいのは、ゴーン被告に黙っていてもらうこと。レバノン法相にせよレバノン外務省にせよ、日本との関係維持を強調しているので、外交ルートでの働きかけが効く可能性がある。8日に予定されている会見がキャンセルされるか、控え目なトーンであれば上…

ゴーン被告の海外逃亡

ゴーン被告が、 ・自宅から関西空港まで移動し ・楽器箱に隠れて ・関西空港からイスタンブール経由でレバノンに到着したと仮定 ・レバノン政府は関与を否定 自宅から空港までの移動手段 同行者に外交官は含まれていたか 同行者は実在の人物か 鈴木副大臣は1…

中央アジア27 ビシュケク

ビシュケクは中央アジア諸国のなかで、感覚的には間違いなくもっとも日本人旅行者が多い街だ。一番の理由は、キルギス入国に観光ビザを要しないからだろう。ビザ取得が煩雑でtime-consumingな旧ソ連の中央アジアにあって、このキルギスのビザ運用は奇跡的と…