こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア50 ホログ タジキスタン

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ホログに着いて時計の針を1時間戻した。ワハーンではバダフシャン時間と言って、タジキスタンの中央時間から1時間進んだ時間が採用されているからだ。そうすると時刻は昼の4時でまだまだ明るい。両替をしたり買い物をしたりするため町に出ることにした。

アイスクリームを食べて町を歩いた。まず売店がたくさんあることに感動した。何も特別なことではないのだが、パミールハイウェイでの5日間は、売店はないかあったとしても露天商のようなものしか見かけない生活だったので殊更新鮮に映ったのだ。下界に戻って来たのだという実感が湧いてきた。

非常に整った並木道と町の規模にしては不釣り合いに立派な学校がある。学校があるからか若者の姿が多く、それが町に活気を与えている。詳しくは知らないが、きっとアガ・ハーンが整備したのだろうと思った。ワハーンを旅している時、どこに行っても幾度となくアガ・ハーンの名前を耳にした。イスマイール派のイマームの一人でありヨーロッパに住むということだが、この地域での存在感はとても大きく感じた。

 

ホログは旅行者にとってあくまで中継地点との位置づけで、綺麗とか素晴らしいと表現する人は見たことがないし、ましてやホログそれ自体を目的として旅のプランに加える人はまずいない。だが僕は率直に言って美しい町だと思った。町のどこからでも見える巨大な岩の山並みがとても印象的で、パミールやワハーンといった世界の尾根を見飽きた後でも十分に迫力があった。高さは2千メートル以上ありそうで、山野井クラスの登山家でなければ山頂には辿り着けなさそうなくらいにそそり立っている。山の中腹、それでも十分高いところに何か文字が書かれている。どうやって書いたのだろうか。そして何と書かれているのだろうか。結局不明なままホログを去ることになった。ともかく、もし財力があればリタイア後にここを避暑地として別荘を構えてもいいと思ったくらいだ。

しかしこの若者の多い町でどういう訳か食堂は乏しく、今夜はあえなく晩御飯難民の身分に甘んじることとなった。