こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア41 アリチュル村の魚のフライ パミールハイウェイday3

2011年8月3日

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2011年8月3日

長い夜がやっと終わり朝を迎えた。エネルギーを得ようと朝食をなんとか流し込んだが、5分もたたないうちに嘔吐してしまった。気分が改善する兆しは一向に見えない。このままパミールの旅を終えてしまうのかと一抹の不安が頭をよぎった。

出発までの間、これからの行き先をどうしようか考えていた。選択肢は二つある。早く高地を脱出するなら、M41をひたすら西に進み今日中にホログという大きな町に辿り着くルートだ。もう一つは南へ向かい、アフガニスタン国境のワハーン回廊へと回るルートだ。

前者の方が道も良く、時間もお金も節約できる。早く楽になりたいという思いもあった。しかしそれでは余りにも勿体なさすぎる。このまま何の楽しい思い出もないままパミールの旅を終えてしまうことが、どうしても自分の中で許せなかった。だから僕は苦難の道を覚悟で、ワハーン回廊を選択した。ここでナヴィルとは別れ、フランス人カップルと僕の3人で残りの旅路を共にすることとなった。

ムルガブでドライバーは交代となった。新しいドライバーは、知的で物腰軟らかいタイプだったので少しほっとした。フランス人カップルも「昨日までのドライバーはまるでF1みたいに飛ばす人だったからちょっとどうかと思っていた」と同じ意見だったので、僕は胸を撫で下ろした。ともかく新たなドライバーと車で出発となった。

道はムルガブ川の支流を遡っていく。上りか下りか分からないくらいに傾斜は緩やかで、川は広い幅を蛇行するように流れている。そして川の周りに芝生のように草が生え、緑の絨毯を敷き詰めたように映る。この不毛の地にあって唯一、動的な生を感じられる場所である。しかしそれも束の間で、標高を上げるにつれ水はやがて枯れ、地面は灰色一色となった。

出発して2時間ほどでアリチュルという村に着いた。ここで昼食休憩のようだ。しかし実際のところ、まだ気分は良くなかった。車外に出ると、平衡感覚を失いよろめいてしまう。嘔吐も改善していなかった。飲み込んだ100ccの水はすぐに地面に戻してしまったのだった。いつまで高山病が続くのか?これじゃあランチどころじゃない。僕はイライラをぶつけるように荒っぽく靴で吐瀉物に砂をかけた。すると吐瀉物はどこに吸い込まれていったのか、跡形もなく消失した。僕はこの気分の悪さを抱えながら、ふらふらと辺りを彷徨っていた。

さてこのアリチュル村の名物は、近くの湖で獲れる魚のフライらしい。名物に旨い物なし?いやしかしパミール高原の湖で獲れる魚と言われれば、一度は食してみたいもの。旅行者としてこんなチャンスをみすみす逃すわけ訳にはいかないのだ。だが今の、水すら受け付けない僕の胃では、揚げ物なんて到底飲み込めそうもない。ではやめるか?それとも一口だけでも味見するか?僕は逡巡していた。

最終的には悩んだ挙句、無理を押してでも食べることを決意した。我々は食堂のおばさんを呼んで、魚のフライを注文した。するとなんと魚はあいにくの品切れだったのだ。おばさんは少し申し訳なさそうな顔をした。だがこの時、僕はちょっと残念だったけれど心のどこかで安堵感を覚えていた。自分の意志ではなく外的な要因で食べられなかったことで、後々に自分を責めることがないということにホッとしたのだ。

しかしその直後、別の情報がもたらされた。たった今、魚が手に入ったと知らされたのだ。フライを食べずに済んで良かったと気持ちが傾いていたところに、正反対の状況に置かれて僕は混乱した。とても素直に喜べる気分ではなかった。閉め切った建物の中にいると気分が芳しくないので、外を散歩することにした。魚のフライを頭に思い浮かべると無性に緊張してくる。さすがに最低でも一口か二口は食べないとまずいだろう。できれば半分くらい流し込めれば及第点だ。逆にもし店内で吐き戻してしまったらどうしよう。それこそ惨事だ。ここでふと素朴な疑問が浮かんだ。魚の大きさはどれほどなのか?鮎くらいなら何とかなるだろう。だが鮭のように巨大だったらどうする。そもそも魚の種類は?鯉だったら嫌だな。いろいろ考え始めると不安がどんどん増大していった。

20分ほどして店内に入った。換気の悪い部屋に揚げ油の匂いが充満していて、それだけでえづく。一刻も早く部屋を出たいと思った。しかし程なくして、とうとう揚がった魚が目の前に運ばれてきたのである。僕は注文を取り止めなかったことを後悔した。鮎どころか体長40cmほどの実に立派な大きな魚だったのである。

魚を前にしばらく僕は茫然としていた。食べた瞬間、嘔吐する場面が脳裏をよぎった。どう切り抜けるのが正解だろうか?一口か二口だけ口に入れ、その後二人に譲るしかないだろう。だが二人が断ったらどうする?大きな魚の塊を殆ど手を付けずにそのまま突っ返すのか?酷い日本人と罵られることだろう。こうなれば食べられるところまで食べるしかない。僕は決意を固めた。スプーンで小さく小さく刻んだ魚片をフォークで突き刺し恐る恐る口に運んだ。するとどうだろう。予想に反して魚肉はすんなり喉を通過したのである。気分も全然悪くなっていない。そこでもう一度試してみることにした。今度はやや大きめの一切れを口に含んで、ゆっくり咀嚼して飲み込んだ。それでもやはりすとんと胃に収まったのだ。しかもこの時信じられないことに、もう少し食べたいという気分が湧いてきたのである。気が付くと、僕は手づかみで魚にかぶりついていた。そしてあっという間に魚はすべてきれいに僕の胃袋に収まっていたのである。

抜群に美味い魚だった。味の表現は上手くできないけどもただただ美味しかった。空腹が最大の調味料だったのか?いやそれは違うと思う。朝ご飯をしっかり食べていたジェニファーも「こんなに美味しいフィッシュ&チップスは食べたことがない」と絶賛していたからだ。高地のきれいな湖に住む魚を獲れたて揚げたてで食べたからだと思っている。

魚を食べ終わるころには気分は良くなっていた。食後の緑茶もガブガブ飲んだ。店を出た時には、ふらつきは完全に止まっていた。体調が完全に回復していることを確認した。この神聖なる魚が高山病を治してくれたことに感謝した。