こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア48 灰色の川 ワハーン回廊 パミールハイウェイday5

2011年8月5日

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2011年8月5日

起床後、川のほとりまで歩いた。山岳の急流だったパンジ川もすっかり育ってここでは大河の佇まいで水はゆったり静かに流れていた。ここの川はメコン川の濁った茶色い水とは違って、ネズミのような灰色だ。こんな色の川は後にも先にも見たことがない。近くで見れば見るほど、おどろおどろしい色を呈していた。

数百メートル向こうの対岸に目をやった。家らしきものが認識できる。ようやくにしてアフガニスタン側に人が住む村を見つけた。小さな家々は灰色の山と同化して、目を凝らさないと見落としそうだ。粗末な家だと思った。今我々がいるタジク側も決して豊かではないが、遠方から眺めるだけで貧富の差は明らかだった。わずかな距離の対岸がこれほど遠くに感じることに考えさせられるものがあった。僕はメコン川を挟んだタイとラオスを思い出していた。タイの最貧地域イサーンの町ムクダハンと友好橋で結ばれたラオス第2の都市サワンナケート。それでもタイとラオスの差は歴然としていた。圧倒的な光量の差がそこにはあった。サワンナケートで吹き荒れていた強風が、橋を渡るとピタリと止んだ時、容易には埋めがたい経済格差を感じたのを思い出す。同じ国だったはずの両岸が、川を境とする近代の国境線により分断され別の道を歩む。それは致し方ないのだけれどどうしても一抹の切なさを感じてしまう。そんなことを考えながらパンジ川の水に恐る恐る手をつけてみた。意外に暖かい。泳いで渡っていた時代があったろうと思った。

さて今日は更に西へと川沿いを下り、ゴルノバダフシャン自治州都のホログまで向かう。道は格段に良い。きれいに整備されたポプラの並木道と乾いた砂利道が交互に現れ、快適なドライブだ。威圧的な山容は次第になだらかになり、平らなところも徐々に増えてきた。桃源郷を離れる寂しさと町に近づく安堵が入り混じる。しかし山岳地帯を離れるわけではなく、大きな滝や建設中のダムに出くわす。なるほど、産業の乏しい山だらけのタジキスタンでは水力発電が一縷の望みかもしれない。ただ、一つの川が多くの国を流れるこの地域では水争いの種になるだろう。下流での水害、地滑り、水不足。隣国同士仲良くすれば良いのにと外の人間が無邪気にいうほど容易ならざる無数の諍い事が一帯に存在し、妥協に妥協を重ねてやっていくしかないのだろう。

途中の村で休憩を取った。ラテルネンデッケの天井や彫刻を施した柱などはこれまで見て来た住居と同様だが、霊廟にくるりんと曲がったマルコポーロ羊の角が祀られている点が印象的だ。旅行人ノートによるとこれは豊饒の象徴だそうだ。羊の角は偶像崇拝にはあたらないのだろうか?ただワハーンのイスマイール派は戒律が緩く、礼拝も時刻を定めず1日2回やればOKらしいので、土着信仰と混じりあっているのかもしれない。村にはあんずの木が植えられ、橙色の実がたわわに実っていた。もぎたてのあんずは甘酸っぱくておいしい。ワハーン渓谷はやはり桃源郷だとあらためて思った。

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