こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

2020-01-01から1年間の記事一覧

中央アジア38 

ホワイトボードのアドレスからは直ぐに返信があった。フランス人カップルからだった。翌朝、打ち合わせのためオシュゲストハウスに赴いた。僕の他にあと一人、ナヴィルというアメリカ人が加わり計4人が揃ったのでいつでも出発できるという。車とドライバーの…

中央アジア37 タジクへ向けて

2011年7月29日 タジキスタン行きの足探しをおさらいする。 1つ目:バスターミナル。タジク方面へのバスは存在せず。 2つ目:トラック駐車場。全てのトラックを当たったが、タジクに行くトラックは1台も見つからず。 3つ目:チョンアライバーザ。何も情報を得…

中央アジア36 2010年キルギス南部騒乱

バキエフ政権下の5年間はどういったものだったのだろうか。アフガン関連の麻薬ビジネスを取り仕切り、息子がマネーロンダリングに関与するなど、決して清廉潔白と呼べるものではなかったようだ。発展途上国のリーダーがこうした裏ビジネスに手を染めている場…

中央アジア35 ジャララバード キルギス

ウズギョンに続いて、2010年の衝突でもっとも被害の大きかったジャララバード、バキエフの故郷に向かった。 ジャララバードはオシュやウズギョンと比べて、よりソ連的な町である。町の規模と不釣り合いに広く直線的な道路はビシュケクを思い出させる。しかし…

中央アジア34 ウズギョン キルギス

2011年7月30日 オシュの生活にも退屈していたので、バスに1時間ほど揺られ、オシュ北東50㎞の町ウズギョンに来た。この小さな町は、山から流れる2つの川に挟まれた場所に位置する。町は小さいものの人は多く賑やかで活気がある。町中を韓国DAEWOO社の軽自動…

中央アジア33 キルギス2010年政変

2010年にキルギスで起こった政変について簡単に振り返る。 キルギスの政治体制は脆弱である。1991年の独立以降、物理学者であったアカエフが大統領を務めてきた。アカエフは、中央アジアでは例外的とも言える言論の自由を一定程度認めていたが、独裁体制での…

中央アジア32 オシュ キルギス

2011年7月28日 これから南進してタジキスタンに向かうのだが、いくつかハードルがある。 まずはビザが必要となる。ただ、これは既にビシュケクで取得済だ。75ドルと少々高かったのだが、即日発給だったので殆どストレスはなかった。しかもなぜかシングル、ダ…

中央アジア31 オシュ キルギス

2011年7月 オシュでは、アライという旧ソ連式のホテルに泊まることにした。1泊400ソム(≒800円)。例によってベッドは狭く、横になると深く沈み込むが、窓からの採光は良好で雰囲気は悪くない。共用トイレは貴族の館のように異常に広く、一見荒廃したように…

中央アジア30 ビシュケクからオシュへ

2011年7月27日 スントの腕時計の控え目な目覚まし音で目を覚ました時、周りは完全に寝静まっていた。時刻は朝6時。空が白み始めているとはいえ、朝が遅いビシュケクの宿は物音ひとつせず、深夜のようである。音を立てないよう注意深く着替えを済ませ、部屋の…

中央アジア29 2011年中央アジアの移動について

中央アジアは小さな地域であるが、ルート取りは複雑怪奇で旅行者を悩ませる。ビザ、国境、疎な交通網、そして地形の4要因が都市間の自由な移動を制限するからだ。この複雑さは、中国旅行と比較してみるとよく分かる。中国旅行の場合は、とりあえず地図を眺め…

中央アジア28 ビシュケク 2011年7月

朝9時に目覚めたが、宿はまだしんとしている。キルギスの朝は遅い。この街には旅行者がすることが特にないのだから仕方ないと言ってしまえばそれまでであるが。少なくとも2011年の時点では、ビシュケクは「沈没」の街であるというのが、旅行者の共通認識だっ…

ゴーン被告の逃亡

一番好ましいのは、ゴーン被告に黙っていてもらうこと。レバノン法相にせよレバノン外務省にせよ、日本との関係維持を強調しているので、外交ルートでの働きかけが効く可能性がある。8日に予定されている会見がキャンセルされるか、控え目なトーンであれば上…

ゴーン被告の海外逃亡

ゴーン被告が、 ・自宅から関西空港まで移動し ・楽器箱に隠れて ・関西空港からイスタンブール経由でレバノンに到着したと仮定 ・レバノン政府は関与を否定 自宅から空港までの移動手段 同行者に外交官は含まれていたか 同行者は実在の人物か 鈴木副大臣は1…