こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア32 オシュ キルギス

 

2011年728

 

これから南進してタジキスタンに向かうのだが、いくつかハードルがある。

 

まずはビザが必要となる。ただ、これは既にビシュケクで取得済だ。75ドルと少々高かったのだが、即日発給だったので殆どストレスはなかった。しかもなぜかシングル、ダブルとも同額である。なお、別途、タジク北東部バダフシャン自治州の許可証も必要だが、ビザとあわせて取得できる。ちなみに、ビシュケクのタジク大使館の担当者はすこぶる美人との評判だったが、扉を開けるとそこにいたのはゴルバチョフ似のおじさんだった。この時の落胆は今でも忘れない。

 

もう一つの問題は交通手段の確保だ。少なくとも、オシュからタジキスタン直通の国際バスは存在しない。航空写真を見れば分かるように、パミール高原の一部を構成しているバダフシャンは、非常に険しい山岳地帯だからである。従って、通常の交通網は存在せず、自分で何らかの手段をアレンジしなければならない。そして、そのアレンジのやり方がよく分からないことに困っていた。

 

ひとまずバス乗り場(正確にはミニバス乗り場だろう)に行ってみることにした。もちろんタジキスタン行きの車があればベストだが、南の町サリタシュまで行ければ、タジキスタンは少し近くなる。だが、どこにも南へ向かうミニバスなど存在しなかった。まあ、ここまでは想定内である。

引き続いて、ホテルアライから東へ川を越えたところにある広い敷地のトラック駐車場に向かった。無秩序に停められたトラック一台一台を覗きこみ、ドライバーがいれば直接声を掛けた。そして事務所のスタッフにもタジクかサリタシュ行きの車がないか尋ねてみた。だが、ここにも南へ向かう車はなかったのである。1台くらいは南行きのトラックがあるだろうとたかを括っていた僕には、少々こたえた。

そこでイチかバチか、「旅行人ノート」というガイドブックに書かれている「チョンアライバーザ」と呼ばれる場所まで行ってみることにした。旅行人ノートによると、このチョンアライバーザにタジク方面のトラックが集まるという。ただ、厄介なのがこのチョンアライバーザとやらは、街の中心から7㎞ほど東にあるのだ。さすがに徒歩は諦めてタクシーを使った。しかもタクシーのドライバーすらチョンアライバーザを知らず、人に聞きまわってようやくたどり着くという顛末。こうして到着したチョンアライバーザは、ただの民家と中庭だった。おじさんが一人いたのだが、こちらがジェスチャーを交えて「タジキスタン」「トラック」と話し掛けても、相当酔っているのかまともな反応が返ってこず、変な絡み方をしてくるものだから、トラブル回避のためそそくさと退散した。このチョンアライバーザがどういう場所なのか、ここからどうやったらタジキスタンに行けるのか、全く何も情報が得られなかった。

 

チョンアライバーザと街の中心を結ぶバスが丁度停まっていたので乗り込んだ。バスに揺られながら、今日一日を振り返っていた。収穫はまるでゼロだった。どうやったらタジクに行けるのかがまるで見えない。正しいアプローチのやり方がつかめない。明日、また今日と同じことを繰り返さないといけないのか。僕は言いようのない徒労感を覚えていた。

そんな時、中庭のあるカフェが見えたので中に入った。4人掛けテーブルが12個ほど置かれた広く開放的な店内だった。ラグマンという、うどんのようなメニューを頼んだ。ラグマンと言っても色々あるのだが、この店で出てきたのは、うどんの上に炒めた具を乗せた麺料理だった。つまりウルムチで食べていた拌面と同じだったのだ。麺のコシも味付けも申し分ない。ウルムチが急に懐かしく思い出された。セメイ以降、ずっとヨーロッパ風の旧ソ連を旅行している感じだったので、故郷に戻って来たような気がしたのである。チャイが紅茶でなく緑茶だったことにも、なんとも言いようのない親近感を覚えた。