こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア70 コーカンドからオシュへ

2011年9月3日

コーカンドの朝は、いつもどおりメロンで迎えた。どんなに食欲がなくてもこのメロンは食べられるし、食べると不思議と快便が約束されているという「薬効」付きである。もう1日ここでとどまり体調を整えようかとも思ったが、1日でも早く中国へ戻ることを優先した。

キルギスへはアンディジャンを経由して入国した。アンディジャンまでは、以前と同様に乗り合いタクシーで行った。アンディジャンの街中から国境までは、距離は近いがタクシーを乗り継ぐ必要があり、やや煩雑だった。
ウズベク入国時の2時間近くかけた徹底した検査から、かなり身構えて出国検査に臨んだのだが、レギや所持金の確認はされずやや拍子抜けした。滞在中の、どんな弾圧を経験したのかというくらいの宿の人々のあの病的なまでの徹底ぶりは何だったのだろう。ともかく特に何も咎められることなく出国を果たした。
キルギス側は、カザフから入った時と同様にここでも素通しで、厳しいウズベクとの対称性が際立つ。街中でカメラを構えるとどこからともなく警官が飛んでくる国から、自由な国にやって来たと思うと自分でも少し気が緩むのが分かった。

宿は同じくホテルアライにした。1時間時計の針を進め、両替を済ませて昼寝をした。部屋からスレイマン山が見える。1か月ぶりにオシュに戻ってきたことが感慨深かった。オシュにはスレイマン山を除いて何もないが、雑然とした雰囲気が心地いい。「I love osh」と言ったナビルの気持ちがわかる気がした。ウズベキスタンと比較すると、同じフェルガナ盆地でも整備のされていないオシュの方がよりオアシス交易都市としての原形を留めているように思う。

台湾の女の子をオシュゲストハウスまで案内したのもここだった。彼女とは不思議な縁で、ホログ、ドゥシャンベに続いて実はヒバでも再会した。ルートの選択肢が限られている中央アジアならではの出来事だが、それでも独立した行動を取る旅行者が5つの都市で出くわすというのはそうそうあるものではない。旅行者の予感というのは当たるものだとつくづく思った。

夕食はいつものカフェでラグマンを食べた。汁無しラグマンを食べるのは1か月以上ぶりになる。ウズベクに入った時はコシのないスープラグマンに物足りなさを覚えていたが、あのボルシチ風の味付けが恋しいと思う自分がいた。だから僕は、ウズベキスタンの食事は日本人に合わないという言説には、どうしても与することができないのだ。

さて、次の目的地はキルギス最南の村サリタシュだ。前回のオシュでの車探しの苦行を思い出しても、この区間の車探しが帰路での一番の難関になるのは間違いない。今日は早めに寝て明日に備えることにした。ただ、違う意味での事件が待っていることをこの時は全く予想していなかった。