こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア71 オシュからサリタシュ

2011年9月4日

1か月前にオシュからタジクへ向かった際は、あれこれ手を尽くしたが結局車が見つからず、旅行者数人でランクルをチャーターすることになった。今回はサリタシュに移動するだけだからこの手は使えず、乗せてくれる車を自力で手配する必要がある。
まず朝一番でジープスタンドへ赴いた。8人乗りのジープが待機はしていたものの、相乗りする客は一向に現れなかった。やはりオシュから南に向かう人はまれなのだろうか。さすがに、1台3000ソム(=5,000円)を一人で払う訳にもいかず、別の手を検討することにした。
続いてトラックスタンドに足を運んだ。目にしたドライバーに声をかけ、サリタシュに行くか聞いていく。すると、自分はオシュには行かないが、オシュに行くドライバーなら知っているという人が現れた。僕はその人に車まで案内してもらった。生憎ドライバーが不在のため車の前で待つことにした。30分ほどすると、やや機嫌の悪そうな体格の良い中年ドライバーが戻って来た。彼に確認すると、今日サリタシュに向けて出発することと、昼に出発するということだった。値段交渉の結果、400ソム(700円)で手を打つことにした。今日の今日早速足が見つかったことに心から安堵した。

12時に出発すると聞かされたので、市場でピスタチオやジュース、スニッカーズを買い、急いで荷物をまとめてトラックスタンドに戻って来た。だがどこを見渡してもドライバーはいない。しばらく待ったものの現れる気配が全くないので、2時間経ったところで駐車場を離れようとした。するとトラックスタンドの詰所の人が心配してドライバーに電話してくれることになった。彼曰く、ドライバーは出発時間を2時40分に変更したとのこと。そうと最初から分かっていたら、キルギス最後のランチをゆっくり取ることが出来たのにと恨めしく思った。

トラックは「予定」通り2時40分に出発した。しかし給油したり、チョンアライバーザに立ち寄ったり町中をぐるぐる回ったおかげでオシュを出たのは結局夕方4時になった。前回は爆走パジェロで3時間かかった。サリタシュ到着が日没後にならないだろうか、宿を見つけられるだろうか心配だった。


6時半にカフェで食事休憩を取った。たまたま居合わせたというトラックドライバーの仲間は、ドンガバチョのようなでっぷりとした愛想のいいおじさんだった。2人が随分と長く雑談したおかげで出発が遅れた。

オシュとサリタシュの間にはアライ山脈が立ちはだかる。3,615メートルのタルディク峠に差し掛かったところでちょうど日没を迎えた。車を降りて、来し方を振り返った。つづら折りの峠道に蛍のように車のライトがポツポツと浮かび、群青色の空には上弦の月が眩しく輝いている。ここを通過するのは2度目だが、これだけ気分の良い峠とは知らなかった。何でも早く通り過ぎればいいというものではない。

峠を下るとそこがサリタシュだ。しかしいよいよサリタシュが目前というところでドライバーは車を停めた。時刻は21時。車が故障でもしたのか何か問題が発生したのか、ドライバーは車を下りてどこかへ消えていった。10分経ってもドライバーが戻ってこないので、懐中電灯を手に僕も外に出た。辺りは民家も何もない真っ暗なところだった。外の空気は冷たかった。体感温度では10度を下回っていたと思う。すぐそばには例のドンガバチョのトラックが停まっていて、その荷台には枯れ草がこぼれそうなほど満載されていた。僕のドライバーは、ドンガバチョの荷台によじ登り、懐中電灯で枯れ草の中を熱心に探っていた。何か探し物か落とし物だろうと思って、少しでも助けになればと懐中電灯を手渡そうと近付いたところ、ドライバーは僕の存在に気付いて慌てて荷台から飛び降りた。この真っ暗な道端で何をしているのか皆目見当がつかない。
仕方なく僕はまた車内に戻ることにした。ドライバーは一向に戻ってこなかった。何か嫌な予感がして僕は再び車を降りて、ドンガバチョの車に向かった。二人は枯草探りはやめて座席でスイカを食べていた。体が勝手に動いて、気が付くと僕も座席に乗り込んでいた。彼らから目を離すなと直感が告げていたのだ。僕もスイカを分けてもらうことにした。スイカを切る刃渡り40㎝のナイフに一瞬ぎょっとしたが、それでもここにいる方が安全だと思った。この寒い中、男3人が座席に横並びでスイカを黙々と食べているのはなんともシュールな光景だったと思う。それにしても、なぜ出発しないのだろうか?スイカなんてサリタシュについてから食べればいいだろう。だが、サリタシュに行って欲しいと一度だけ僕が言ったのに対して二人が無言を貫いたのを見て、面倒ごとは起こすまいとじっと我慢することにした。何とも言えない沈黙の圧が流れていたのだ。

どれくらい待っただろうか、別のトラック2台が到着した。2人は車を降り、新しく来た2人を交えて4人での話し合いを始めた。何もない暗闇にトラックが集まり、男たちが路傍で相談をしているさまは異様だった。話し合いは長時間に及んだ。終わりそうになかったので、僕は元のトラックに戻り根気強く待つことにした。しばらくしてようやくドライバーが戻って来た。彼は車内に隠してあった大量の札束を取り出し、一人の男に手渡した。それは片手で抱えきれないくらいの大枚だった。
これでやっと一仕事が済んだのかおもむろにエンジンをかけ、ようやく車を走らせた。サリタシュには5分もかからず到着した。時すでに日付が変わろうとしていた。

僕の中でいくつもの疑問が頭に浮かんだ。なぜオシュの出発が4時間ずれ込んだのか?なぜサリタシュまで行かず、数キロ手前の真っ暗な道端で長々と待っていたのか?4人の男達が村を避けて深夜の道端に集った訳は?枯草の中に隠された「荷物」の中身は何か?そして何よりあの大量の札束は何の見返りだろう?
この疑問に対する答えは一つしか考えられなかった。彼らは麻薬の運び屋だったのだ。この時僕は、サリタシュが麻薬ルートのハブであるという噂が真実であることを確信した。