こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

2018-01-01から1年間の記事一覧

中央アジア21 アスタナ カザフスタン

2011年7月18日夜まで部屋を独り占めしたまま、ついぞ誰も現れることなく床に就いた。入眠はスムーズだった。やっとまとまった睡眠がとれると思うと、心が緩んで無防備な状態になった。しかしそれは束の間のまどろみだった。 深夜2時に二人組の男がやって来た…

中央アジア20 アスタナ カザフスタン

2011年7月17日短時間のうちに深く眠っていたようだった。バスターミナルの職員にとんとんと肩を叩かれ目を覚ました時には、朝6時だった。外に出ると、空はこれから明るくなっていくところで、鉄道駅の建物が、側面を朝日に照らされ眩しく光っている。空気が…

中央アジア19 アスタナへ カザフスタン

2011年7月16日朝食は、1番のミートボール2個とマッシュドポテトにした。460テンゲ=250円。結局、セメイには3泊することになった。 次の目的地、首都のアスタナへ向けて、バスターミナルに赴いた。バスは8時30分、15時、18時の1日3便ある。9時を過ぎていたの…

中央アジア18 セメイ カザフスタン

2011年7月15日東向きの部屋に強烈な朝日が差し込み、眩しくて目が覚めた。ホテルの1階のレストランで、朝食を取ることにした。朝食メニューは5種類の中から選ぶことが出来る。僕は4番の、ハンバーガーとカッテージチーズのセットを選んだ。旧ソ連から続く公…

中央アジア17 セメイ(セミパラチンスク) カザフスタン

2011年7月14日夕方5時に家に戻り夕食を頂いた。メニューは鶏のクリームソースマカロニだったが、文句なしに美味しい。カザフスタンの味覚は意外に日本に近いかもしれない。気分を良くしたお母さんがグルジアワインを開けた。彼女はムスリムだが酒を嗜む。た…

中央アジア16 セメイ(セミパラチンスク)2 カザフスタン

2011年7月14日9時に目が覚めた。昨夜はすぐに入眠したので、目覚めは爽やかだった。お母さんも間もなく目を覚ましたので、別棟の親戚宅へ朝食を食べに行った。親戚宅に着くと、昨夜見なかった小学生くらいの娘さんがすでに食べているところだった。我々も一…

中央アジア15 セメイ(セミパラチンスク) カザフスタン

2011年7月14日バスが停車したのは、バスターミナルではなく真っ暗な空き地だった。ここがセメイであることを示す標識は何一つない。そして周囲に街の光もない。ただ、乗客全員がバスを降りて、自分たちの荷物を取り出していることから、セメイに着いたことは…

中央アジア14 セメイへ

2011年7月13日カザフスタンとの国境には、朝6時30分に到着した。バスが停車したのは、とにかくだたっ広い敷地だった。周囲の建物と言えば、野馬ホテルという無機質なホテルとレストランが数軒あるだけだ。何もない分、「中華人民共和国吉木乃口岸」と書かれ…

中央アジア13 ウルムチ出発 2011年7月12日

2011年7月12日 セメイへいよいよ中国を出国する日がやってきた。上海から数えると1か月近く中国に滞在していたことになる。ウルムチに到着した日から計算しても18日目だ。これほど長く中国に、そしてウルムチに滞在することになるとは思ってもみなかった。食…

中央アジア12 ウルムチ

ハミグワは哈密瓜と表記される新疆原産のラグビーボール型メロンである。この巨大なメロンは、過酷を極める夏の新疆において、貴重な水分補給源となる。新疆にいてハミグワ抜きの生活だと、何かが欠けている感じがして落ち着かない。 ラグビーボールを縦に16…

中央アジア11 ウルムチ カザフビザ編

2011年7月7日中央アジア・ビザ地獄の洗礼を初めて浴びたのはウルムチだった。僕は隣国カザフスタンのビザを取るために、カザフスタン鉄道事務所という所に来ていた。これまでビザと言ってもカンボジアのアライバルビザくらいしか取ったことがなく、いわばこ…

中央アジア10 ウルムチ ウルムチ暴動記念日

2011年7月6日夜12時になると日が沈み、街はようやく静かになる。窓の外には、やや太くなった新月が顔を出していた。ロータリーを覗きこむと、多数の警察車両が停まっているのが見える。今日7月6日は、ウルムチにとって特別な日だ。200人の死者を出した2009年…

中央アジア9 ウルムチ

2011年7月3日麦田ユースホステルから古巣の新疆飯店に戻って来た。前回の4階から2フロア上がって6階に上がると床タイルがきれいで、それだけで部屋の雰囲気がまるで違う。眺めも少し良くなった。窓から見下ろすロータリーと高架道路も、遠くに見える茶色い…

中央アジア8 ウルムチ

2011年7月1日 ビザを受け取り、ウルムチへ戻ってきた。今回僕が泊まっているのは、新疆飯店ではなく北にある麦田ユースホステルだ。5人部屋ドミトリーが55元と新疆飯店より少し安いが、どうも何かがしっくりこない。まず2段ベッドの軋む音が苦手だった。そし…

中央アジア7 トルファン3

2011年6月30日早々とトルファンを発ったチェコの青年と入れ替わりに部屋にやって来たのは、背の高い20代後半くらいの西洋人だった。「ハロー」と声を掛けると、彼は少し間を置いて頷いた。彼が何も喋らないことに、僕は少し違和感を覚えた。そして「どちらか…

中央アジア6 トルファン2

2011年6月29日中国ビザの申請を済まし、百富バーガーという京劇の仮面のような猿のマスコットのファーストフード店で、僕は涼んでいた。中国のファーストフードは、フライ物のバーガーが圧倒的に多い。そこで改めて、ハンバーグを挟んだハンバーガーが、高度…

中央アジア5 トルファン

2011年6月28日トルファンは激暑だった。 ウルムチでの下痢が止まったあと、僕は中国ビザ延長のため隣町トルファンまで来ていた。ここは海抜マイナス150メートルの盆地である。まるでるつぼの様に町全体が熱せられ、体感温度は40度を超えていた。外を歩くとぼ…

中央アジア4 ウルムチ

2011年6月25日 ウルムチに到着した夜から下痢と嘔吐が始まった。自分の中で原因は、はっきりしている。間違いなく暑さによる疲労と脱水だ。宿探しで彷徨っている時から何となく兆候はあった。4か月旅をしているから、その辺りの感覚については鋭敏になってい…

中央アジア3 ウルムチ

2011年6月25日蘭州から硬臥で12時間かけて敦煌まで来ると、更に風景が乾いたものに変わっていく。空は雲一つなく澄み渡り、遠くに大きな砂丘を望む。防砂林のポプラが天に向かって伸びようとしている姿が青い空によく映える。 敦煌の町自体はとても小さく見…

中央アジア2 蘭州

2011年6月19日 中国のほぼ真ん中に位置する標高1500メートルの高原都市蘭州は、黄河とシルクロードが交わる交通の要衝だ。東の中原と西域を結ぶと同時に、南の山岳地帯へ分け入ればチベットへの入り口に繋がる。 蘭州駅の背後には高さ600mの茶色い山が聳え、…

中央アジア1 蘭州へ

2011年6月19日 もし高さ200メートルのバンジージャンプがあったとしても飛べる自信はあるけれど、「T52/53硬座」のチケットに手を出す勇気はどうしても出なかった。だがそれは僕だけではないはずだ。中国における鉄道の座席は、軟臥、硬臥、硬座の3種類に分…

タイ4 カオプラビハーン

2011年4月4日日の出を見た後ナンロンへ戻り、荷物をまとめて東のウボンラチャタニにバスで向かった。所要時間5時間の予定だが、普通バスは地元民が乗降するため停車が多く、想定よりも時間がかかる。これを僕はうっかり失念していた。ウボンラチャタニ到着予…

タイ3 パノムルン

2011年4月3日国道24号線沿いにあるナンロンは、観光資源を欠く退屈な町だ。そこの質素な250バーツの宿に僕は泊まっていた。この宿の最大の利点はバナナが食べ放題ということだった。それがあまりに美味しいバナナだったので、日本で食べたなら元が取れるくら…

タイ2 ピマーイ

2011年4月2日 コラートからピマーイまでは、普通バスで2時間のバス旅だ。タイでは普通バスとエアコンバスの2種類がある。エアコンバスはさらに細分化されるが、ともかく普通バスは座席も狭く、快適性で大きく劣ると言って間違いない。 さてピマーイは、11世…

タイ1 ナコンラチャシマ

2011年4月1日ジャヤバラマン7世の時代、クメール王朝はタイ東北部、ラオスに及ぶ大帝国であった。もし貯水湖を備えた寺院をタイで見かけたならば、それはクメール朝の遺構である可能性が高い。 少し時代は遡るが、プレアビヒアにしても本来の参道は、タイ側…

カンボジア19 バンコクへ 2011年3月31日

2011年3月31日朝5時に外に出たが、町は真っ暗で完全に寝静まっていた。かろうじて市場には、暗闇の中、かすかに人の気配が感じられた。シソポンの朝は遅い。いやカンボジア自体がベトナムと比べて、遅起きなのだ。今更ながら生活習慣の違いをつくづく感じて…

カンボジア18 バンテアイチュマール

2011年3月30日廃墟とレリーフが好きならば、シソポン近くのバンテアイチュマールは外せないスポットである。ただしそこに至るまでの悪路は覚悟しなければならない。プノンペンから西へ向かう道は国道5号線と、シェムリアップを経由する北回りの6号線の二手に…