こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

タイ2 ピマーイ

2011年4月2日 

コラートからピマーイまでは、普通バスで2時間のバス旅だ。タイでは普通バスとエアコンバスの2種類がある。エアコンバスはさらに細分化されるが、ともかく普通バスは座席も狭く、快適性で大きく劣ると言って間違いない。
さてピマーイは、11世紀スールヤバルマン1世の時代に完成したヒンズー教寺院であり、後世ジャヤバルマン7世の時代に仏教寺院へ転換している。同じアンコール遺跡としてカンボジア側と比べてみると、よく整備・修復されており状態は良好だ。1階部分に偽窓を配置した端正な3連の塔は、アンコールワットのモデルとも言われ、正面から見る姿はどのアンコール遺跡よりアンコールワットに酷似している。また、一部後から人の手が加わったと思われる楣の彫刻は精密で美しい。ただ壁面のレリーフが全く残っていないのは悔やまれるところだ。
ところでピマーイは平地に立つアンコール遺跡としては例外的に東西ではなく南方向を向いている。これはピマーイがアンコールワットを起点とする街道の終着点として整備され、アンコールワットの方向を向いているからだ。ちなみに、バンテアイチュマールは、このピマーイ街道上に建てられたとされている。ジャヤバルマン7世はアンコールワットを中心にいくつかの「王の道」を整備し、121の宿場と102の病院を街道沿いに造営したという。しかしこの古道は現在の道に反映されておらず、痕跡も殆ど残っていない。数少ない例外は、カンボジアシェムリアップ州とオッドーミエンチャイ州境界の巨大な橋の遺構である。いつの日か、壮大な古道の全容が明らかになることがあるのだろうか?
なお現存するジャヤバルマン7世像の4体のうち1点が、ピマーイ博物館に収蔵されている。大きな耳、ブッダのような慈悲深い表情が印象的だ。そして両腕の鋭利な切断面が目を引く。なお残りの3体についても、いずれも腕は残っていない。この「腕なし」は偶然だろうか?
最近これに関する示唆的な発見があった。昨年8月、アンコールトム近くで巨大像が発見されたのである。そして奇妙なことに、この巨像もまた鋭利に両腕が切断されていた。この像は、ジャヤバルマン7世が建てた病院の「守り神」だったのである。ここまで一貫していると人為的に切断された可能性を疑いたくなる。
ではなぜだろうか?腕を切断することに、なんらかの呪術的な意味合いがあったのか。例えば、ジャヤバルマン7世や彼の作った仏像たちがクメール朝に影響を与えることが出来ないように、後世の王が腕を切り落としてから粉砕したのかもしれない。彼以降、クメール朝はヒンズー教へと再び戻っているからだ。もしこのアンコールトムの遺構からブッダ像が発掘されたなら、この謎を解く一つの手掛かりとなるだろう。まだまだこの時代については、分からないことだらけである。