こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア16 セメイ(セミパラチンスク)2 カザフスタン

2011年7月14日

9時に目が覚めた。昨夜はすぐに入眠したので、目覚めは爽やかだった。お母さんも間もなく目を覚ましたので、別棟の親戚宅へ朝食を食べに行った。親戚宅に着くと、昨夜見なかった小学生くらいの娘さんがすでに食べているところだった。我々も一緒に、パンとマントゥの残りを頂く。パンにつけるクリームチーズがおいしい。この娘さんが色々話し掛けてくるのだが、ロシア語なのかカザフ語なのか、まったく言葉が分からない。そのうち娘さんのお母さんが「言葉が通じないんだから、質問しても意味ないでしょ」みたいな感じでたしなめると、拗ねた表情をした。しばらくして別のおばさん二人がやって来て賑やかな朝食になった。
朝食を食べて部屋へ戻った後、長男が街案内をしてくれることになった。2人で公共バスに乗り、セメイホテルの近くで下車した。街はホテルを起点にして南西方向に延びる。博物館やホールなどの公共施設もこの並びにある。WW2公園やレーニン公園には例外なく英雄の像が建てられており、どうしてロシア語の教科書でレッスン2にいきなり「英雄」という単語が出てくるのかという疑問が氷解した。
少し中心の通りから外れた12階建てビルの外壁一面に、大きな男性の写真が飾られている。ナザルバエフ・カザフスタン大統領だ。ナザルバエフは1989年にカザフスタン共和国の第一書記に就任して以来、30年近くの長きにわたりカザフスタンを治めている。2011年4月の大統領選では95.5%の得票率で当選した。一方で、欧米からは独裁政権との批判も絶えない。こういう独裁者を当の国民がどう思っているのかは興味深いところだ。特に、法学部に通うインテリである長男の意見は、国民の意向を反映している可能性が高い。そこで僕は彼に、ナザルバエフを好きかと訊ねてみた。彼の返事は明快だった。間を置かずに、イエスと言い切った。続けて、この国は落ち着いているからと付け加えた。これから他の中央アジアを訪問することになるのだが、それらを経てから彼とのやり取りを振り返ると、妙な説得力を持つのだった。しばらくの間、「this country is calm」という言葉が頭の中でこだましていた。

さて、通りを突き当りまで進むと、セメイ医科大学にたどり着く。同時にセメイで最も立派な建物でもある。広い敷地の奥には、簡素な2階建ての解剖棟があり、2階が博物館になっている。彼がセメイ医科大学の教授に掛け合って、博物館の見学許可を得ることが出来た。
セメイという名前を知る人は殆どいないだろうが、旧名のセミパラチンスクを聞けば、ピンと来る人も多いかもしれない。世界最大級の核実験場が置かれ、456回、うち116回の地上核実験が行われた場所である。信じられないことに、1950年代には地上での核実験が頻繁に行われ、深刻な健康被害をもたらした。被曝が腫瘍の発生にどれだけ寄与したかは議論の分かれるところであるが、少なくとも汚染地域では他地域と比較して、1960年以降一貫して食道がん、肺がん、胃がん、肝臓がんの発生率が高い。興味深いのは、肺がん発生のピークが実験直後ではなく1990年にあることだ。ソ連崩壊前後のデータの信頼性は脆弱かもしれないが、被曝と発がんの時間差を示唆している可能性はありうる。これは、喫煙率と肺がん発生率のタイムラグが30年であることに相似している。だが、もしそうだとすると、被曝と発がんの因果関係を議論するためには、超長期に渡る観察が必要とされることになる。肺がんと喫煙は関係ないと公言して憚らない人が、強い発言力を持つ国で、この込み入った話をどうやって説明したらいいだろうか?専門家と発信できる立場にある人との間に横たわる溝が、科学を隅に追いやってしまう。

2階の博物館の一角に奇形児のホルマリン漬けが並ぶ。発がんに劣らず奇形は忌避感を惹起する。少しグロテスクなので写真は撮らなかった。この手のものは写真を撮って拡散させる類のものではないだろう。恐怖を煽るイメージが拡散すると、それは即ちいわれなき差別に繋がる。不可視性、癌、奇形。放射線はメタファーに満ちている。恐怖と嫌悪を克服するのは、感情論ではなく常に客観的事実に基づく知識なのだ。

途中から3男が合流し、長男の友人グループともばったり出くわした。彼らに「セメイは気に入ったか?」と聞かれたので「美しい町です」と答えると、微妙な空気が流れた。沈黙を破るように一人が「それは真実じゃない」と叫んだら、みんながどっと笑った。自虐的な笑いの中に、何か見えない影をはっきりと感じた。