こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

カンボジア18 バンテアイチュマール

2011年3月30日

廃墟とレリーフが好きならば、シソポン近くのバンテアイチュマールは外せないスポットである。ただしそこに至るまでの悪路は覚悟しなければならない。

プノンペンから西へ向かう道は国道5号線と、シェムリアップを経由する北回りの6号線の二手に分かれた後、シソポンで再合流する。シェムリアップからシソポンまではバスで2時間、またタイ国境まで50kmに迫る交通の要衝である。シェムリアップと比べるとかなりの辺鄙さは否めないが、国境の町特有の妙な活気が感じられる。またどういう訳か、NGOの西洋人を多く見かける。

バスターミナルに到着した後、町一番のホテルであるゴールデンクラウンホテルに宿泊した。ダブルで8ドル。外観だけは立派だが、部屋に入るとつくりは簡素でシャワーは水のみだった。ベッドサイドテーブルにペットボトルの水が置かれていたので、ベッドに腰を下ろしまずは水分補給することにした。だが口に含むと異様な臭いがする。埃まみれになった僕の口回りの泥のせいかもしれない。そこで、タオルで口を拭いてまた飲んでみることにした。しかしそれでも強烈な臭いがする。なぜだろうか?疑問に思い、ふとペットボトルを眺めてみると、水の中に虫が沈んでいた。異臭の正体は腐敗した虫の臭いだったのだ。僕は気分が悪くなって口の中の水を吐き出した。

バンテアイチュマールはシソポンの北60kmにある。シソポンからの公共交通機関はない。またシェアタクシーで行った場合、帰りの足が確保できなくなるので、ホテルでバイクをレンタルし、自分で運転して行くことにした。ちなみにレンタル代は1日10ドルだった。
バンテアイチュマールまで全行程が非舗装路だ。また見た目には整地されているが、実際走ってみるとかなりデコボコが多い。スピードを少し上げると窪みにはまり、その反動でガツンと突き上げが来る。だから路面をよく見て大きなへこみを回避しながら慎重に進んだ。それでもハンドルには振動が伝わるので、ゆっくりとしか走れない。ふと注意が緩むと予期せぬ衝撃に襲われるので、バンテアイチュマールまでの2時間はずっと緊張しっぱなしだった。

着いてみると、そこにあったのは小さな村にひっそりと佇む静かな遺跡だった。ゲートのようなものはないかわりに、遺跡を管理する学術員のおじさんが常駐している。僕に気が付いてガイドをするよと申し出てくれたが、一人でゆっくり回りたかったので丁重にお断りした。今日一人目の訪問者だったそうだから、暇つぶししたかったのだろう。

バンテアイチュマールはジャヤバルマン7世によって創建された仏教寺院である。ただ祠堂内部は倒壊が激しい。盗掘や風化により崩れ落ちた巨石が数百個積み重なり、その高さは4mほどになる。そのため足を踏み入れることすら困難だ。もはや原形を想像することは不可能に近い。過剰に修復された遺跡を僕は好まないが、修復前の遺跡はこうも無残で見るに堪えないものなのかと思い知らされる。この莫大な量の石を一つ一つ拾い、繋ぎ合わせて元の場所に復元するのにどれだけ時間と労力がかかるだろう?想像すると気が遠くなった。

バンテアイチュマールと言えば西面の千手観音が有名だが、あえて僕は東面に展開するレリーフを強く推したい。なかでもチャンパとクメールの水上戦は、決して大きなものではないが、全てのアンコール遺跡の中で最もお気に入りの1枚だ。鎧や船体は細かなところまで写実的かつ装飾的に、クメール人は勇猛に生き生きと描き込まれている。じっと眺めていると、川に投げ出されワニに食べられる人々の悲鳴や戦士の怒号が聞こえてくるようだ。ジャヤバルマン7世にとって、チャンパ征伐が大きな意義を持っていたことを今に伝える資料でもある。そういう目で見ると、脈々と引き継がれるベトナムカンボジア反目の源流がここに記されているのかもしれない。

ただ、二輪で行くには想像以上の悪路なので、シェムリアップからのツアーがやはり良いかもしれません。