こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

このブログについて

スマホやPCを持たない旅行者がまだ生存していた2011年の旧式スタイルの旅の備忘録です。名所にとらわれず徒然なるまま移動し、国と地域を把握することを心掛けました。旅は大きく分けて、【メコン編】、【中央アジア編】、【チベット編】の3つです。宿、為…

鄭州 中国

2011年9月15日 夜が明けて僕は再び如意湖にいた。なぜわざわざ二日連続で足を運んだかは覚えていない。ぼんやりと記憶にあるのは、大きなコンベンションセンターの中に入ったことだ。コンセプトやテーマに統一性のまったくない展示会が開催されていた。キャ…

鄭州 黒川紀章の足跡をたずねて

9月14日 鄭州 鄭州に移動した僕は、宿泊拒否の洗礼を浴びていた。蘭州のように飛び込みですっと招待所に泊まれたのと落差が大きすぎて困惑していた。一般的に、中国では外国人の宿泊には「登録」が必要になる。この「登録」には2つあって、外国人を受け入れ…

二回目の蘭州

9月13日 二度目の蘭州はよく楽しめた。一度目は初めて触れる西域の空気と刺激に気圧されてしまったが、二度目は都会としてこの街を眺めている自分がいた。近代的なショッピングモール(どこでもありそうな代り映えしないものだが)や買い物客たちが緊張感な…

ウルムチから蘭州へ

9月12日 数日ウルムチでのんびり過ごした後、上海まで鉄道で戻ることにした。しかし予想した通り切符がなかなか取れない。作戦を変更してどこか乗り継げる都市がないかと電光掲示板を眺めていたところ、9月12日深夜4時発の蘭州行L108が異常に空いていた…

中央アジア77 ウルムチに戻って

2011年9月8日ウルムチでの宿は新疆飯店と決めていた。2011年時点で既にバックパッカーからは見放されていた旧式の宿であるが、窓が広く部屋が明るいことも、窓から望むロータリーの景色も好きだった。そして何より2000年代後半に雨後の筍のように作られた雑…

中央アジア76 ホタンからウルムチへ

9月8日 ウルムチ行きの寝台バスは清潔な白いシーツが敷かれていた。ウルムチまでの長旅が少しでも快適に過ごせそうで良かった。ホタン行は不潔で眠るどころではなかったのだ。21時の食事休憩で、昼に続いて2食連続でシャシリクを食べた。今回のシャシリクは…

中央アジア75 ホタン(和田)

2011年9月7日 バスは朝6時にホタンに到着した。しかし新疆時間を適用すると実質的には4時でまだ暗い。車内が汚く眠れなかったのでホテルで休みたかったが、バスターミナル併設の交通賓館ですら160元と高く、横になるのは諦め広場で座って朝が来るのを待つこ…

中央アジア74 カシュガル

2011年9月6日 招待所の硬い板ベッドで寝られるわけがないと思っていたが、知らないうちに眠りに落ちていたようだ。周りの物音で目を覚まし、真っ暗な部屋を手探りで電気スイッチを付けると朝8時になっていた。さて今日はこれからどうするか? 実はカシュガル…

中央アジア73 国境を越えカシュガルへ

ユルトを出発し、九十九折の道を登ること30分ほどで標高2,800メートルの国境イルケシュタム峠に到着した。この国境の通過は普通でない幾つかの手順を踏む必要がある。まず、国境手前からトラックがずらっと100台以上並んでいるので、車を降りて国境ゲートま…

中央アジア72 サリタシュ出発

2011年9月5日 サリタシュの村に着いて、ドライバーはホームステイできる民家まで僕を運んでそこで別れた。ホームステイは1泊200ソム(400円弱)。立派な絨毯も敷かれているし、部屋が汚いという訳ではないのだが、先ほどの出来事が生々しく脳内に焼き付いて…

中央アジア71 オシュからサリタシュ

2011年9月4日 1か月前にオシュからタジクへ向かった際は、あれこれ手を尽くしたが結局車が見つからず、旅行者数人でランクルをチャーターすることになった。今回はサリタシュに移動するだけだからこの手は使えず、乗せてくれる車を自力で手配する必要がある…

中央アジア70 コーカンドからオシュへ

2011年9月3日 コーカンドの朝は、いつもどおりメロンで迎えた。どんなに食欲がなくてもこのメロンは食べられるし、食べると不思議と快便が約束されているという「薬効」付きである。もう1日ここでとどまり体調を整えようかとも思ったが、1日でも早く中国へ…

中央アジア69 タシュケント出発 中国に向けて フェルガナ盆地へ

2011年9月2日 タシュケントを発ち、中国に戻ることにした。 朝起きるとひどく喉が痛い。今日は出発の日だというのによりによって体調を崩してしまった。タシュケントはだだっ広い。徒歩圏内で用事を済ませられない生活でストレスがかかっていたのかもしれな…

中央アジア68 バザール

バザールは付設された食堂での食事も含めてチョルスーで殆ど事足りるが、他のバザールもそれぞれ特色があるので行ってみると楽しい。一番いい果物が売られているのはアライバザールだった。活気や飾り気はないが、とびきり新鮮でおいしいブドウが手に入った…

中央アジア67 中央アジアプロフセンター

中央アジアの料理は脂っこいとよく言われるが、陸路で移動しているうちに胃腸が順応してしまったのか、あまりそう感じることはなかった。いくつかタシュケントの代表的な店を紹介してみたい。 まず絶対に外すことができないのは、これは迷うことなく中央アジ…

中央アジア66 タシュケントに戻って

タシュケントに戻ってから、しばらくはアルハシラットという旧ソ連式ホテルに泊まっていた。1階のカフェはこれぞプロレタリアート食堂と呼ぶにふさわしく、暗い雰囲気の店内といい、笑顔が完全に消失した女性店員がタバコをふかしながら接客する様といい、社…

中央アジア65 サマルカンド

タシュケントの次はサマルカンドということになるのだが、面倒なのでサマルカンド、ブハラ、ヒバまとめて書くことにする。一言で言うなら、ツーリスティックなサマルカンド、鄙びたヒバ、足して2で割ったようなブハラだ。もう少し詳しく書いてみる。サマル…

中央アジア64 タシュケント

2011年8月17日 タシュケントはとても大きな街で、徒歩で回るのは難しい。そこで交通機関として活躍するのが地下鉄か「タクシー」だ。ただ、どちらも慣れとコツが必要だ。まず地下鉄については、厳しいセキュリティーがネックになる。駅の入り口には警官が立…

中央アジア63 コーカンドからタシュケントへ

2011年8月16日 今日は首都タシュケントへ向かう。今は鉄道が開通しているそうだが、2011年当時は公共交通機関がなかったため、乗り合いタクシーが唯一の手段だった。言い値が50ドルとふっかけられたのでシェアするための同乗者が現れるのを待っていると、颯…

アンディジャン事件

さて、このツーリスティックではまったくない国境の街アンディジャンを世界的に有名にしたのは2005年5月13日の事件である。アムネスティの報告によると、経緯は以下のとおりだ。 遡ること1年前の2004年に23人の実業家がイスラム過激主義に関与したかどで逮捕…

中央アジア62 アンディジャン

2011年8月15日 朝は昨夜の残りのメロンを食した。追熟が進んだのか、昨日よりも甘く感じる。暑い国の朝食としてメロンは合っていると思う。食欲がなくてもするするっと食べられる。腸も動き始めてお通じも快調だ。毎日がこんな朝なら何も言うことがない。 今…

中央アジア61 ウズベクで闇両替 コーカンド

ニギナホテルは塗装の匂いがまだしっかり残っている新しい建物だった。通された部屋は3階建ての3階にあるロフト風のツインルームだ。天井が建物の屋根に沿って斜めなのが気になるが、それを除けばホテルシャルクとは比べ物にならないくらいに質は良かった。…

中央アジア60 ウズベク入国 コーカンドへ

今日はウズベキスタンへ国境を越える。目指すは東のフェルガナ盆地だ。正確なルートは覚えていないが、たしかイスファランまでミニバスで行き、タクシー(12ソム)に乗り換えカニバダムに向かい、そこから更にタクシーを乗り換え越境ポイントに着いた記憶が…

中央アジア59 ホジャンド朝活

8月14日 夜が明けないうちからバザールは活動を始める。喧騒で目を覚ました時、時刻はまだ深夜4時半だった。窓を閉めて寝直したが、それでも窓越しに商人の元気な声が部屋の中にまでに忍び込んで来る。心地よい騒がしさだなと思っているうちにまどろんでいた…

中央アジア58 ホジャンドへ

2011年8月13日 ドゥシャンベには1週間滞在した。いけずなファルハングのおばさんとも毎日挨拶しているうちに打ち解けるようになった。夜も快眠できるようになって生活リズムも安定してきた。冷蔵庫がバザールで買った果物たちでいっぱいになり、どれを食べる…

中央アジア57 ドゥシャンベで迎えた

4階の部屋は夜には涼しくなり僕は気持ちよく眠りに落ちていた。そこへ前触れもなく、深夜3時に大きな声とドアを執拗に叩く音が深い眠りを破った。この深夜に一体何事だと言うのだ。火事でも起こったのか。眠気まなこを擦りながらドアを開けると、おじさんが…

中央アジア56 ドゥシャンベ

朝食は向かいのカフェでアメリカンブレックファースト(風のもの)かオムレツでたんぱく質を補給し、日中はメルブでクーラーに当たり、部屋へ戻った後は冷蔵庫でキンキンに冷やしておいたマスカットで水分補給するというのが一日のスタイルになっていた。カ…

中央アジア55 タジキスタンと中国

ドゥシャンベを歩いているとタジクと中国とのつながりを感じる場面がある。街を走るミニバスは中国から提供されたのか、「中塔友誼車」(塔は塔吉克斯坦(タジキスタン)の頭文字)と書かれている。それにすれ違う若者が笑顔で「ニーハオ!」と挨拶をしてく…