こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧

カンボジア17 一ノ瀬泰造の墓

2011年3月29日1970年代前半、誰も成しえなかったクメールルージュ支配下のアンコールワット撮影に挑み、無念にも此の地に散った日本人がいる。一ノ瀬泰造である。 1947年生まれ。戦場カメラマンとして内戦下のカンボジアを舞台に最前線での撮影を続けるが、…

カンボジア16 シェムリアップ

2011年3月27日シェムリアップまでバスで帰ってきた。アンロンウェンは2泊しただけだったが、すごく久しぶりに戻ってきたような感覚がする。そして暑い。前と同じ宿にチェックインを済ませた。ここのスタッフ、と言っても前回僕はほとんど喋ってないのだけど…

カンボジア15 プレアビヒア 2011年3月26日

2011年3月26日 アンロンウェンの夜は涼しくエアコンは全くもって不要であるが、せっかく7ドル余分に払ったのだからということで付けっぱなしにして寝ていた。すると足が冷えて眠れない。布団をかぶって寒さを我慢するのもおかしな話だと気付いて止めることに…

カンボジア14 タモックの家

ポルポトは1998年に死亡した。死因は諸説あるが、死亡した2日後に遺体はゴミや古タイヤとともに無造作に焼かれた。 アンロンウェンの国境近くにポルポトの墓が祀られている。正確には「墓」ではなく「ポルポトが焼かれた地」である。正式な墓は建てられなか…

カンボジア13 ポルポトの家

バイクタクシーの青年は、はっきりと「プレアビヒアに行ける」と断言した。もし危険な状況になれば連絡が入るから大丈夫だと言う。そんなことが可能なのか。彼は表情をほとんど変えない男だった。商売のためにニコリとしたり、あるいは不機嫌になってムスッ…

カンボジア12 アンロンウェンへ

2011年3月25日 2011年の時点でカンボジアには2つ世界遺産がある。一つは言うまでもなくアンコール遺跡。もう一つがプレアビヒア寺院だ。これは以前からずっと行ってみたかった場所である。場所はカンボジアの北部、タイとの国境に位置する。カンボジア領にも…

カンボジア11 シェムリアップ

2011年3月24日アンコール遺跡を何日かけて回るか? これはシェムリアップに着いた旅行者が最初に直面する問題である。アンコール遺跡は1日券、3日券、7日券の3種類のチケットが用意されている。もし7日券を選んだ場合、連続した7日ではなく任意の7日間観光が…

カンボジア10 シェムリアップ

2011年3月23日船旅の疲れのせいか日本人宿の快適さで肩の力が抜けたのか、昨日は9時には寝てしまっていた。そしてそのまま10時間眠り続け7時に目が覚めた。朝食はパンとオムレツとコーヒーの洋風朝食だった。少しうれしい。食べるとまたけだるくなってきたの…

カンボジア9 シェムリアップへ

2011年3月22日アンコールの町シェムリアップが都たり得たのは、ひとえにメコン最大の湖トンレサップ湖のおかげである。 バッタンバンを流れるサンケ側は北東に向かいトンレサップ湖に流入する。流出路は南東方向のトンレサップ川で、プノンペンでメコン川と…

カンボジア8 バッタンバン

2011年3月21日カメラが壊れてしまったので、近くの写真屋で最も安い乾電池で動く125ドルのデジカメとインスタントカメラを買った。 もう夕方になっていた。またホワイトローズで夕食だ。安心して食べられる場所だからつい足が向いてしまう。今日は外のテラス…

カンボジア7 バッタンバン

2011年3月21日宿で借りた自転車はおそろしく転がりが悪く、漕いだ分だけしか進まない。加速と慣性の法則が当てはまらない自転車に四苦八苦していた。3月下旬のカンボジアは乾季から暑季への移行期でとにかく暑い。このぼろい貸し自転車を選んだ自分が恨めし…

カンボジア6 バッタンバン

2011年3月20日7時に起きた時には、蚊取り線香は切れていた。狭い部屋で煙を焚いたせいか頭が痛い。ぼーっとした状態のまま朝食に出掛けた。行き先は、Fresh eats caféという「AIDSの親を持つ子供たちを支援するNGO」が運営するカフェである。サービスは素人…

カンボジア5 バッタンバン

2011年3月19日プノンペンには3泊した。王宮や丘の寺、マーケットなど観光地も訪問したのだが割愛する。キャピトルレストランには度々お世話になり、何を頼んでも付いてくるフライドポテトは胃もたれするほど口にしたが、それでもなぜ「キャピトル」なのか答…

カンボジア4 プノンペン

2011年3月18日20世紀のカンボジアについてポルポト派、いわゆるクメールルージュを抜きに話をするのは難しい。ポルポト派がカンボジアを支配した1975年から1979年の4年間におよそ200万人が亡くなり、うち半分が虐殺によるものと推定されている。この悲劇を知…