こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

カンボジア6 バッタンバン

2011年3月20日

7時に起きた時には、蚊取り線香は切れていた。狭い部屋で煙を焚いたせいか頭が痛い。ぼーっとした状態のまま朝食に出掛けた。行き先は、Fresh eats caféという「AIDSの親を持つ子供たちを支援するNGO」が運営するカフェである。サービスは素人っぽくてゆっくりしているが、急いでいる訳でもないし、こちらもぼーっとしているのでいちいち目くじらは立てない。マンゴーシェークが1ドル、ピーナッツバタートースト1.25ドルで合計2.25ドルだった。セントは持ち合わせていないので、0.25ドルはカンボジアリエルで払うしかない。寝起きの脳みそでゆっくり考えた。1ドル=4000リエルだから0.25ドルは1000リエルになる。つまり支払いは2ドルと1000リエルだ。そこで5ドルと1000リエルを渡した。当然お釣りは3ドルになるはずだが、どうした訳か2ドルと5000リエルが返ってきた。またしてもお釣りが1000リエル多い。カンボジアの引き算はどうなっているのだろうか?

自転車を借りて、エクスカーションに出掛けた。バッタンバンは街を一歩出ると昔ながらののどかな風景に出会える。両脇を生い茂るヤシの木に囲まれた道を進むと次第に道は砂利道に変わっていく。粗末なバラック建ての民家の傍らに、数千はあろうかと思われる鰯ほどの小魚がびっしりと並べられて天日干しにされていた。近くの茶色い川でこんなにも魚が獲れるのだろうか?また稲を刈り取った後の乾いた田んぼでは、20頭ほどの白い牛が互いの縄張りを侵さないように等間隔で草を食んでいた。カンボジアの大地は広い。クメールルージュの時代に、この豊かな土地が飢餓に見舞われたとは俄かに信じがたい。彼らが道具の使用を禁じ、先史時代のような農業を強要したためである。精神論が合理的思考を駆逐する時、悲惨な結末が待ち受ける。歴史ははっきり教えられるべきである。
田んぼの中にいったん迷い込むと、脱出するのはとても困難だ。一本道に見えるあぜ道が曲折していたり、小さな川に阻まれたりして容易には地図の道へと戻れない。おかげで1時間かからず行けるはずのワットエクまで2時間以上かかってしまった。
ワットエクはもし修復されていれば、そこまで関心を引く場所ではないかもしれないが、崩れた石組みは廃墟好きの心をくすぐるものがある。自然の風化と盗掘が、荒廃した国でどう作用したかを知る手掛かりになる。崩壊した中にあって、乳海撹拌とおぼしきレリーフが綺麗に残されているのが非常に印象的だ。乳海撹拌とはヒンズー教における天地創造であり、アンコール遺跡の核心ともなるモチーフだ。盗掘されなかったのは、切り出しが技術的に難しかったのか、良心が咎めたのか、そもそも放置されただけなのか、もし当時の人が生きていたら聞いてみたいと思った。

ランチはホワイトローズだ。カシューナッツ鶏肉炒め3ドルとミックスシェーク0.75ドルにした。ここのウリの一つはシェークである。店頭にずらっと陳列された新鮮な果物に誰もが目を向けてしまうだろう。客の注文を受けると、店員は果物を取り上げてミキサーにかける。いろんな種類の果物を眺めていると、次はどれにしようかワクワクした気分にさせられる。毎日通ってシェークを全種類制覇してやろうと考えるのは僕だけではないはずだ。

バッタンバンは町に寺が多く、不思議とクメールルージュの破壊を免れ保存状態がとても良い。それが街の穏やかな雰囲気にもつながっているように思う。一方、サンカー川東岸は新市街エリアで学校や住宅、新しいホテルが建つ。特に見どころはないけど、街のモニュメントとも言えるダンボン像ロータリーはインパクトが強いので、インスタ女子にはおススメです。#ラーメン大好き小池さん とタグ付けを忘れずに。

夕食もまたホワイトローズだ。本当にワンパターンだな。でも食べるメニューは変えているつもりだ。今夜はアモックという、魚にカレーをかけて葉っぱで包んで蒸したカンボジア料理にした。小骨に要注意だがまずまずいける。それにバッタンバンのお米はおいしい。食事が楽しめる街は純粋に楽しい。ただバッタンバンに来たら寄るべき場所であっても、そのためにバッタンバンに旅行する場所ではないことを付け加えておきます。

今になって思うのは、食事の写真をもう少しこまめに撮っておくべきだったなということ。嗅覚・味覚は他の何よりも密接に心象風景とリンクしている。平凡な食事ですら生々しい記憶の手掛かりになる。旅行中の感動は、夢と同じで目覚めた瞬間から蒸発して消えていく。それを甦らせることができるのは、おそらく匂いである。もしも将来、香りを記録し再現する技術が開発されれば、何度でも旅を反芻することが出来るようになるだろう。