こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

カンボジア14 タモックの家

ポルポトは1998年に死亡した。死因は諸説あるが、死亡した2日後に遺体はゴミや古タイヤとともに無造作に焼かれた。
アンロンウェンの国境近くにポルポトの墓が祀られている。正確には「墓」ではなく「ポルポトが焼かれた地」である。正式な墓は建てられなかったが、のちに彼を慕う人々が墓標を作った。ブリキの三角屋根で覆われた犬小屋ほどの粗末な墓である。遺骨はお守りとしてひとかけらも残さず住民によって持ち去られ、ここに彼の遺品は残っていない。それでも焼かれた場所が聖地となり、彼を偲ぶ機会を残すこととなった。骨を粉々にしてタモックの崖から撒かなかったのは、タモックのせめてもの慈悲だったのかもしれない。

実質的にアンロンウェンを支配していたのがタモックだったことは、この町で一番大きな彼の家を見れば分かる。太い立派な柱、広い部屋、部屋に敷き詰められている細かな文様の入ったタイルは、タモックに少なからず贅沢を志向する心があったことを窺わせる。3階の外壁はポルポトの家と同様に茶色いレンガだが、2階の手すりはアンコールの意匠を思わせる連子格子となっていて、デザインへのこだわりを感じさせる。内部の壁に描かれたアンコールワットがあまりに稚拙で、もう少し上手であればと思わずにはいられなかった。

タモックの家の裏手には湖が広がっている。タモックが作らせた人口湖だという。乾季の終わりでかなり水は干上がっているが、至るところに立ち枯れした木が目に入る。木が生えたまま水が引き入れた結果、このような景観を作り出すことになった。この死の風景を美しいと感じるのは、上高地を知る日本人だからなのかもしれない。ふと思ったのは、ポルポトの家近くの池もタモックが作らせたのだということだった。とすればあれはポルポトの貴重な水がめだったのだ。

宿へ戻った。ホテルの裏手がタモック湖であることに気が付いた。3階のテラスから眺めると一段と美しい。この景色を見るためだけでも、アンロンウェンを訪れる価値があると思う。

町はラウンドアバウトを中心に四方に商店が並ぶ。南には青空市場と屋根付き市場がある。屋根と言っても簡素なトタン屋根で、雨漏りを防ぐため天井が布で覆われ全体に暗い。中に屋台風の食堂が入っていたが、市場自体がお世辞にも清潔とは言えずここで食べる勇気はなかった。ラウンドアバウトを北に上がったオープンエアの広いレストランで夕食を食べることにした。高い天井から吊るされた電球に、千は優に超えるであろう蛾の大群が群がり、バタバタ音を立てて煩わしい。床には電球で焼けた蛾の死体が散乱していた。不気味だったがここは辺境の町だからと言い聞かせて我慢した。揚げたチキンのカレー風味、というのを頼んだ。出てきたのは1.5㎝程度の骨付きのぶつ切り肉だった。カンボジアでこれまで食べてきたニワトリとは全く別物と言っていいくらい身が柔らかい。しかもジューシーだ。ただ骨が多くて食べにくいのが欠点だ。ふむ、それはさておきニワトリにしては皮が薄い。レバーですらニワトリ独特の臭みが全くない。なんと旨い鶏肉だろうかとムシャムシャかぶりついた。ただ、やはり異常に小骨が多い。
小骨を口からぺっぺっと吐き出しながら気が付いた。ニワトリに小骨はあり得ない。これはニワトリなどではなく、近くで野鳥を捕獲してきたものだ。だいたいアンロンウェンに養鶏場などあろうか。この鳥がなんという鳥なのか、時間が経てば経つほど気になって仕方がないのであった。