こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア18 セメイ カザフスタン

2011年7月15日

東向きの部屋に強烈な朝日が差し込み、眩しくて目が覚めた。ホテルの1階のレストランで、朝食を取ることにした。朝食メニューは5種類の中から選ぶことが出来る。僕は4番の、ハンバーガーとカッテージチーズのセットを選んだ。旧ソ連から続く公営ホテルだから、味に特筆すべきものはない。それでも英語メニューがあり、お茶とチョコレートが付いてくるので不満はない。食べると意外に量が多かったのか、妙に眠たくなって昼頃までベッドで横になっていた。

午後に町に出た。昨日と同じく、第二次世界大戦公園、レーニン公園(正式名称は戦勝公園と中央公園)と回る。髭を生やし左手に本を持ったアバイ像が目に入る。アバイはセメイが生んだ詩人、知識人である。マドラサイスラムを学ぶ一方、ロシア文学にも造詣が深くカザフ語へ翻訳し紹介した。議論を好みカザフ人の啓蒙に努めた彼は、カザフスタン近代文学の父として尊敬を集めたという。アバイが思わぬ形で有名になったのは、2012年のモスクワでの反政府デモであった。デモ隊が集った広場の中心にアバイの像があったため、この集会は「オキュパイ・アバイ」と呼ばれたのであった。
また町の南東にはドストエフスキー博物館がある。死刑からシベリア流刑に減刑となり兵役を課せられたドストエフスキーは、セメイで2年間暮らした。ここで様々な交流や最初の妻マリアとの出会いがあり、再び筆を執るようになった。博物館は、彼が暮らした木造の家と、1980年代に増築された本を開いたようなデザインの新館からなる。ただし内部見学の案内は、ロシア語を話すスタッフによるものだったため、内容が理解できなかった。次回は通訳を連れてこよう。
ドストエフスキー博物館から更に南へ進み、町の南端にあるのがセメイ美術館だ。町の小ささと不釣り合いに、この美術館は充実している。21の部屋から成り、それぞれの部屋が沢山のコレクションで埋め尽くされている。コレクションの中には、レンブラントの銅版画も含まれているから驚きである。
そう、セメイは核実験場セミパラチンスクとしての名前が有名すぎるが、文化的にも非常に豊かな地なのである。うら寂しいイメージとは違って、緑が多く意外とくつろげる。もしセメイを訪れる旅行者がいれば、この美術館たちも是非目的地に加えてください。

ところでカザフスタンン入国後には、入国後最初の町の警察で入国登録を行う必要がある。警察に赴いたのだが、登録フォームはマガジンと呼ばれる商店で買って自分で用意しないといけないらしい。しかもそれを自分で3部コピーして持参しないといけないとのこと。警察は混雑しており、窓口もいつ行っても閉まっているし、商店も見つからず、歩いている途中で雨も降り始め、色々と面倒くさくなって、結局登録は行わなかった。後で咎められる不安が少し残った。
両替屋は街にいくつかあるがレートはほぼ同じだ。1ドル=146カザフスタンテンゲ。つまり、1テンゲが大体0.55円程度である。売買どちらでもレートに殆ど差はない。また中国のような手続きの煩わしさもなく、現金を出すだけでいい。

夕食はまたホテルの1階で食べた。タンとキュウリとコーンのサラダ、それからメインは羊とニンジンを茹でたものだ。少し変わったメニュー構成だが、なかなかいける。ライスとチャイを付けてサービス料込で935テンゲ=500円。中国から比べると高いが、レストランでのディナーとしては許容範囲かな。これがカザフスタンの地方の物価相場だ。
ところで、フロントでもう一泊することを告げたのだが、5000テンゲを出したところ返ってきたお釣りは3000テンゲだった。僕が怪訝な顔をすると、フロントの男性は何かを確認してから慌てて1000テンゲを回収した。つまり、僕の泊まっている部屋は、本当は3000テンゲではなく2000テンゲだったのだろうと思う。ただ今それをほじくり返すと、昨日まで遡って面倒な経過になるだろうから何も言わないことにした。しかし、朝食500テンゲ、シャワー使用量200テンゲを含めると一泊合計3700テンゲになるのだから、それならばいっそ、バス付き・朝食込みの4000テンゲの良い部屋にすれば良かったと心の中で呟いた。
このベッドはそれにしても寝付きにくい。しかし疲れがたまっていたのかいつの間にか眠っていたようだ。