こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア19 アスタナへ カザフスタン

2011年7月16日

朝食は、1番のミートボール2個とマッシュドポテトにした。460テンゲ=250円。結局、セメイには3泊することになった。
次の目的地、首都のアスタナへ向けて、バスターミナルに赴いた。バスは8時30分、15時、18時の1日3便ある。9時を過ぎていたので15時の便にした。料金は3500テンゲ=1900円で、予定時間は14時間だ。
出発までの時間に、街の南へと足を向けた。美術館から更に南へイルチェイシュ川を渡り1㎞進むと、ひっそりとした川の中州に公園が整備され、突如として高い灰色の物体が現れる。これが「stronger than death」のモニュメントだ。高さ30メートルほどの巨大な石板が、中をきのこ雲形にくり抜かれ、足元には幼い子を守るように抱える女性の像が置かれている。核実験で犠牲になった人々を追悼するモニュメントだ。ちょうど年老いた人達が花を手向けていたので、僕はその人たちが去るのを待って、祈りをささげた。公園には僕と彼ら以外には誰もいなかった。今日は気持ちのいい晴天に恵まれ、公園の豊かな緑と光を反射する白い雲が清々しかった。

バスは定刻通り15時に発車した。バスは予想と違って、寝台ではなくイス席だった。しかも前の座席に膝が当たりそうなくらいにピッチが狭く、リクライニングを倒せない。これで14時間乗り切れるだろうか?更に前の網かごもなく、快適なバス旅は完全に諦めることにした。
バスはステップを3時間ほど走り、道端のカフェで休憩となった。綿雲が気持ち良い。内陸のウルムチを脱出しても、なお広大な大地が続く。世界は広い。車内は暑いので、みんなは車外に出て、日陰で休憩していた。僕は、トイレに行きたくなると困るので、何も食べずに過ごすことにした。
2度目の休憩は21時で、パブロダルという大きな街だった。どこか時代に取り残されたヨーロッパのような雰囲気がある。150テンゲのハンバーガーを買って小腹を満たすことにした。ちなみにロシア語では、Hに相当する発音はなく、ガンブルゲルと読む。
パブロダルを過ぎると、路面状況が格段に良くなる。揺れは少なくなり、少し体への負担は軽くなる。とは言え、眠るにはこの椅子は厳しい。目をつぶってみたが、一向に眠気は訪れなかった。結局、ずっと車窓から外を眺めることになるのだった。夜は長い。
深夜3時だった。突然、やたらと広い6車線の道が現れた。しかもこの深夜に高級車が沢山走っている。ついに首都アスタナに着いたことが分かった。真っ暗で建物は何も見えなかったが、近代的都市の空気をはっきりと感じ取ったのだ。結局、予定より早い到着となった。
バスターミナルは鉄道駅と隣接していた。深夜の到着だったので、バスターミナル内の宿泊所をまず当たった。ところが部屋はあるかと聞くと、「ニェット」とまさかの満杯だ。そこでバスターミナルの外に出て、宿を探すことにした。5分ほど歩いてみたが、鉄道駅前は真っ暗だ。人の気配がしない。僕は、直感的に危ないと思った。旅行者を狙った強盗がいそうだし、もし強盗に遭遇したらバックパックを担いで逃げられない。慌ててバスターミナルに引き返すことにした。荷物預かりにバックパックを預け、2階の待合所に上がった。ステンレス製の長いすが並んでいる。ところで、このバスターミナルで働いている人たちは、荷物預かりにしても、トイレにしても女性だ。ということは、この中はそれほど危険でないということだ。そう判断し、長椅子で寝ることにした。飲んだくれが隣で寝ていたが、こちらに構う風ではない。落ち着ける雰囲気ではなかったが、横になり足を伸ばすとすっと眠りに落ちた。