こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア14 セメイへ

2011年7月13日

カザフスタンとの国境には、朝6時30分に到着した。バスが停車したのは、とにかくだたっ広い敷地だった。周囲の建物と言えば、野馬ホテルという無機質なホテルとレストランが数軒あるだけだ。何もない分、「中華人民共和国吉木乃口岸」と書かれた国境の建物がひときわ威圧的で目立つ。
用を足すため野馬ホテルの中に入った。フロントには人がおらず、電気もついていない。ホテル内部は意外と新しく、ヨーロッパのロッジを思わせる洒落た造りだ。灯りのない暗い内部に、何かの言い伝えに登場するような、青い目をした木彫りのお面が飾られていたのが不気味だった。
バスに戻った後、僕はまた眠っていた。浅い眠りしか取れなかったせいか、目を閉じるとすぐまどろんでしまう。どれくらいの間、眠っていたのか分からないが、車内の蒸し暑さで目が覚めると、車内に乗客は誰もいなかった。荷物はそのままなので、おそらく朝食を取りに出たのだろう。
僕もバスを出て、近くのレストランに入り、マントゥという食べ物を頼んだ。これはきっと中国でよく食べていた、具無しの「饅頭」だろうと思って注文したのだが、このマントゥはロールキャベツ風の洋風の食べ物だった。このレストランは、というよりこの国境自体、利用するのは殆どカザフスタン人なのだろう。
朝食を終え、9時半になると乗客たちは国境に並び始めた。ここの国境は10時に開門するらしい。10時と聞くと遅く感じるが、北京と2時間相当の時差があることを考慮すると実質8時になり、妥当な時間である。このジェミナイ国境は通る人もまばらで、国境の職員と乗客が顔見知りというレベルだ。だから出国検査も至って簡便かつ形式的である。ある乗客が、クマの原寸大ぐらいある大きなクマのぬいぐるみを持ち込もうとしていたのだが、機械を通らないという理由でX線検査すらせずに素通しだった。
だがカザフスタン人に対してほぼノーチェックなのとは対照的に、日本人の僕は見事に引っかかってしまった。カザフスタン人しかいないバスに外国人が紛れ込んでいるのは怪しいと判断されたのかもしれない。
別室に連れていかれると、数人の公安職員が部屋に入ってきた。僕の取り調べを直接担当したのはかなり若い、知性を感じさせる青年だった。この辺境の国境に、現代的感覚を持つ人材が配置されていることに率直に驚いた。やり取りを記録するためビデオカメラを回し始めたところで、尋問が始まった。具体的には、バックパック内の全ての荷物の検査と写真の確認である。彼が数百枚ある写真を一枚一枚確認しながら質問していき、こちらは淡々と答えていく。特にやましいことはないから事務的に進めていく。彼もそんなことは分かっている。もし後になって問題が起こった時に責任を問われないよう、徹底的な調査を指示したアリバイを残しておきたいと上司が考えたから、カメラまで回す極端な対応になったのだ。責任を取る人間と面倒事を担う人間が分離すると、このように業務は非効率的になっていく。
尋問は結局1時間以上かかり、無事出国することができた。ほかの乗客はバスの車内で待ちぼうけだった。開門と同時に出国するつもりだったろうから、とにかく申し訳ない気持ちだった。引き続いてのカザフスタン側イミグレはバスで1㎞進んだ所にあった。他の乗客は言わずもがな入国審査に際してノーチェックだが、僕はまたしても別室呼ばれになった。ただ別室と言っても、オフィスそのものが、中国側イミグレの10分の1程度のこじんまりとしたものである。僕はそのオフィスの裏にある、4人入れるか入れないかという手狭な休憩室へと誘導された。ここでの対応者は、恰幅のいい赤ら顔のおじさんだった。だが彼は英語も喋れないし、荷物を調べるような面倒なこともしない。結局ジャムクッキーとチャイでお茶をしながら、空手は出来るのか?みたいな他愛もない雑談で時間を潰すことになった。よほど暇なのか、時計で時間を確認すると、「ランチで肉を食べよう」と言い出した。さすがにみんなを待たしている以上、そこまでは付き合えない。その旨を説明し、ようやくにして解放されたのだった。この時、すでに中国時間で13時半を回っていた。素通し国境のはずが合計3時間半かかってしまった訳だ。乗客のみんなは文句ひとつ言わず、温かく迎えてくれた。その気配りが身に染みた。


カザフスタンに入ると、新疆の乾いた風景から一変して山が青くなる。緑の草原を颯爽と駆ける馬を見た時、カザフスタンに来たと言う思いを強くした。あたりに町はない。1時間ほど進んだ所で、ようやくザイサンという小さな町に着いた。だがここも人影はまばらで、カラスだけが異常に多い寒村だった。キリル文字の看板とレトロな車が、この国がかつて旧ソ連だったことを今に伝えていた。

道は一応アスファルトで舗装されているが、凸凹が多くかなり揺れる。風景は基本的に草原だが、湿地帯の緑だったり枯草の黄色だったり、あるいは丘陵地帯を越えたりとそれなりに変化に富んでいる。天気もまた変わりやすいのだった。雲一つない晴天かと思えばにわか雨が降り出したり、すぐ止みまた太陽が照り付けたりと忙しい。太陽が顔を出すと車内は暑く、曇ると寒く寝付きにくい。
トイレのための停車もあることはあるが、道端か草むらで済ますことが多い。たまに塀で囲まれた便所があると女性客が行列を作る。
16時に分岐点に差し掛かったところで休憩となった。ここにはガソリンスタンドと小さなカフェ2軒がある。そのほかには何もなく、車外に出ると膝くらいの高さの草原が見渡す限り広がっていた。電柱と道路がまっすぐどこまでも続いているが、その先は霞んで見えない。これから向かう西の空はどんよりとした雲が立ち込めていた。荒涼とした風景と音のない世界がカザフスタンの広さを語っているような気がした。
さて、水を買いたいのだが、カザフスタンのお金がない。国境に両替所がなかったのだ。そこでドライバーに頼んで、手持ちの中国元をカザフスタンテンゲに両替してもらった。100元が2200テンゲになった。1テンゲが0.57円ということか。食欲がなくメニューも読めないので、水だけ飲んで外の風に当たっていた。中国のミネラルウォーターと比べて格段においしかった。
バスはすぐに出発した。
町が殆どないので、セメイまでの距離を測る目印がない。あとどれくらいでセメイなのだろうかと考えながら、似たような風景を眺めるのが苦痛になってきた。せめてもの救いは、赤い夕日がきれいだったことだった。日没を迎えてもなお、バス休みなく走り通した。

24時頃になってヨーロッパ風の街に入った。光は少なく歩行者はいない。周りの乗客がごそごそと荷物をまとめ始め、会話の中にセメイという単語が聞こえるようになった。街と不釣り合いに立派な橋を渡り、街を通り抜け、何もない真っ暗な空き地でバスは停まりエンジンを切った。さてはセメイに着いたか?しかし金はなく土地勘もない。さて、どうする?