こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア6 トルファン2

2011年6月29日

中国ビザの申請を済まし、百富バーガーという京劇の仮面のような猿のマスコットのファーストフード店で、僕は涼んでいた。中国のファーストフードは、フライ物のバーガーが圧倒的に多い。そこで改めて、ハンバーグを挟んだハンバーガーが、高度な技術を要する食べ物だと僕は思う。百富バーガーの味がなんとなく安定していないので、ここでハンバーグパティを食べるのは危険な気もする。まあ味は気にしない。コーラをちびちび飲んで、時間を潰すことが出来たら十分だ。半地下の部屋が涼しいとは言っても、日中はそれなりに蒸し暑くなるし、部屋で24時間過ごすのはさすがに不可能だ。
トルファン賓館の前の通りを北に進むと葡萄棚が数百メートル続き、ここも多少の日除けにはなる。1本西側の高昌路が新市街の目抜き通りで、百富バーガーやショッピングモール、銀行が並ぶ。またトルファン賓館南の解放路を東に進むと開発の手が入っていない旧市街エリアがあり、昔ながらの路地に干しレンガを積み重ねた家が立ち並ぶ。そして、ここを40分歩くとスレイマン王のミナレットに至る。バザールは町西部にあり、果物など一通りのものは手に入る。肉屋もあるが、基本的に清真、すなわちイスラムの教えに則ったものしか提供されないので豚肉はない。ちなみに僕の目を引いたのは、鮮やかな黄色の巨大なぶよっとした物だった。これは肺だ。日本で食べられることはあまりないけれど、どこへ流通しているのだろうか?

宿に戻ると、ドミトリーに新しい客が来ていた。チェコバックパッカーだった。二十歳そこそこの学生だが、パキスタンペシャワールから旅を始めたという、なかなかディープなルーティングを取っていた。良く知られているように、ペシャワールアフガニスタン国境から50㎞手前に位置し、アフガン難民が多く暮らす街だ。旅行者が気軽に行く場所とは思えなかった。
彼はそこから、カラコルムハイウェーを越えて中国に入国し、カシュガル・ホタン・ウルムチと新疆を移動してきた。
「中国は鉄道で移動しているのですか?切符を買うのに苦労しませんか?」
と訊ねたところ、意外な答えが返ってきた。
「全く。今までなんの問題なくやっていけてるよ」
「硬臥ですか?」
「すべて硬座」
「なんと!それは大変ですね。」
「そうでもないよ。乗客は食べ物をくれるしね」
彼の見かけによらない逞しさには驚嘆するばかりだった。生活様式も食べ物も、彼が過ごしてきた東ヨーロッパとまるで異なるだろうに。僕には、このクールな青年が硬座に座り、ウイグル人や中国人に囲まれわいわいやっている姿がどうしても想像できなかった。

まあ快適な旅にこだわり出すと、あれもダメこれもダメと言う癖が付いて、旅の幅が狭くなる。逆に、宿と移動の質に無頓着になれれば、旅のストレスのうち半分は解消する。例えば硬座が許容できれば、列車の選択肢は大きく広がる。考えてみれば、別に中国人が椅子に長時間座る訓練を受けている訳ではないし、我々が嫌だ嫌だと言っているだけなのだ。少しの不快さを受け入れることで、自由度の高い旅が出来るようになることを、このチェコ人が教えてくれたのだった。