こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア5 トルファン

2011年6月28日

トルファンは激暑だった。
ウルムチでの下痢が止まったあと、僕は中国ビザ延長のため隣町トルファンまで来ていた。ここは海抜マイナス150メートルの盆地である。まるでるつぼの様に町全体が熱せられ、体感温度は40度を超えていた。外を歩くとぼーっとして現実感を喪失しそうになる。

そんなトルファンの宿は、トルファン賓館という、外観だけは立派なホテルだった。僕が泊まっていたのは、その最下層にある半地下の3人ドミトリーである。裸の蛍光灯が付いただけの殺風景な部屋は、ベッドがなければ物置にしか見えない。壁の塗装も大きく剥げ落ちて、コンクリートがむき出しになっている。そして手の届かない高さに、小さな窓が取り付けられている。奇妙なことに、ホテルの外から見ると、猫の視点あたりに謎の小窓があるように見える。光源がこの小窓と蛍光灯だけなので、部屋は常に暗い。換気扇や空調がないのは言わずもがな、誰かがシャワーを浴びるとしばらく部屋中に湿気がこもる。またベッドシーツは滅多に交換されないようだ。
気分がとてもげんなりする部屋ではあるが、日射しの影響を全く受けないことで、屋外より空気が涼しく保たれているのが救いである。

ロビーで久しぶりの日本人に出会った。いつ以来だろう。記憶をたどっていくと、遥かシェムリアップサイゴンまで遡ることに、我ながら驚いた。彼と目が合ったので僕はぺこりと頭を下げた。「日本人ですか?」と聞いてきたので、僕も「日本人ですか?」と聞き返した。日本語が、思ったよりもすらすら出てきたのでほっとした。
彼は当初、トルコから旅を始め自転車で東に進む予定だった。健康的に日焼けした屈強な躯体は、いかにもチャリダーらしいそれとして違和感はない。だが自転車はどこにも見かけなかった。
彼の旅はトラブル続きだった。準備は万端のはずだった。陸路や航路で移動するための複雑なビザも取得していた。だが、どうしても越えられない国が出てきたため、中座してウルムチまで飛ぶことになったという。しかし僕の興味を最も惹いたのは、出鼻を挫いたイスタンブールでの詐欺だった。
「でね、イスタンブールに着いてそうそうですよ、やられたのは」
「初老の男性に声を掛けられて、店について行ったのが始まりでした。」
そこから彼は、事の顛末を仔細に話し始めた。
「ほう。で被害額は?」
「最初はね、少額を吹っ掛けられたんですけどね。それがあれよあれよと言っている間に膨れて」
「それは災難でしたね。で、おいくらくらい」
「最初は○○円くらい、で△△円に吊り上がって。それでもまだ足りないってことになって、最終的には××円を」
「ほー!」
僕は久しぶりの大きな声を出した。僕ならば間違いなく旅を断念するくらいの大金だったのだ。不運を乗り越えて旅を続けている彼のメンタルの強さは、称賛に価すると思った。しかし彼から、そういった暗さを感じることは微塵もなかった。それをくよくよしてもしょうがないという言葉は、紛れもなく強がりではなかった。

確かに、人は失ったお金のことについて考えすぎだ。ドブに落とした財布をいくら念じたとして、財布が戻ってくるわけではない。川原で拾った玉を道中で3つ落としたのなら、またもう一度川に拾いに行けばいいのだ。しかし、多くの人はそれをせず、どこで落としたのだろうか?と答えの出ない問いを考え続ける。その考えている間に、玉を拾って家に帰れるというのに。
人は精神的にとらわれやすい。負の感情は強い「粘着力」を持つからだ。嫌な出来事を思い返して負の感情を召喚し、それを何度も反芻することに、ある種の中毒性が備わっているのではあるまいか?だがそれが、次の一歩を踏み出す妨げになる。連鎖は、強い意志を持ってどこかで断ち切らねばならない。

彼とトルファンの町を歩いた。バザールの物売りでいくつか果物を買った。彼も店主のおばさん両者とも譲らず、粘り強い交渉が行われているように見えたものの、最後には二人ともにこやかに固い握手をかわしていた。しかし彼の知っている中国語は、「謝謝(ありがとう)」と「清便宜(まけて)」の二つだけだったのだ。これはとても示唆に富んでいると思った。

「女性に声を掛けるとき、第一声はどう声掛けをしたらいいですか?」と聞く人がいる。日本でコミュニケーションを教わる機会がない証拠だ。唱えさえすれば扉が開く魔法の言葉がどこかにあると信じているのだ。55-38-7の法則が、どうしてこうもすっぽり頭から抜け落ちているのだろう?そもそもコミュニケーションにおいて自分が相手に合わせていることは強く意識しているのに、相手が自分に合わせようとしていることには全く無自覚なのだ。相手の反応は鏡に映った自分でもある。相手が気難しい人だとこちらも緊張するし、気さくな人なら打ち解け易い。逆もまた真なり。相手に心を開いて欲しければ、自分がまず胸襟を開くべきだ。それには笑顔で挨拶することから始めるのが筋ではなかろうか。

彼は多くのことを気付かせてくれた。「騙されないために」旅に出ている訳ではない。「お金を使わないために」旅に出ている訳でもない。もう少し眼と心を開いて懐に飛び込んでみよう。
彼と同じ空気を吸うことで、縮こまっていた心が少しずつ解きほぐされていくのが分かった。ありがとうと伝えたい。