こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア56 ドゥシャンベ

朝食は向かいのカフェでアメリカンブレックファースト(風のもの)かオムレツでたんぱく質を補給し、日中はメルブでクーラーに当たり、部屋へ戻った後は冷蔵庫でキンキンに冷やしておいたマスカットで水分補給するというのが一日のスタイルになっていた。カフェの1食が100円ちょっとで済むというのがありがたい。マスカットもわざわざ値札を確認する必要がないくらいに安い。この生活にも徐々に慣れてきたようだ。僕はこういう規則的かつお金のかからない生活を好み、そして実は望んでいるのかもしれない。

もちろん味覚が根本的に違うので日本に帰りたいとも思う。だが日本に戻ったとして、お金持ちになりたいという欲求は不思議と湧かない。ここでみずみずしいマスカットを頬張りながら旅のことについて思いを巡らせる時間より贅沢なものってあるだろうか?旅から10年経ってこれを書いている訳だが、今なお同じことを考えているということは、自分にとってそれが真実なのだろう。ただお金がいくら無尽蔵にあったとして、旅だけの生活を送ることは人にはできない。それは最大級の苦行であると断言できる。食でも放蕩生活でも同様で、贅沢さを詰め込もうとすると、その瞬間に何かを犠牲にして禁欲的にならざるを得ないものだ。とすると、質素な旅の生活が「贅沢」なのかそれとも経済的にリッチな俗生活が「贅沢」なのかという問題に加え、どちらの贅沢もそればっかりだと贅沢と程遠いものに変容するのだから、贅沢の極大化はそれ自体が自己矛盾のようなものである。贅沢の道に足を踏み入れることは即ちそうした禅問答が待ち受けていることだ、という点は若いうちに教えられる機会があって良いように思う。

 

ちなみに僕は単調な食生活に耐えられず、時々インド料理屋に足を運んだ。駐在員用のレストランだったので値段は跳ね上がるが、久しぶりに食べるチキンティッカは旨かった。この街に中華料理店が欲しいというのはそういうことなのだ。バリエーションは重要である。外国で久しぶりに食べるものは何でもおいしい。

夕食を市街中心で食べる場合は注意が必要だ。1点目はアイニー通りを走るバスが早々と終了してしまうこと。もう一点は警察の検問に捕まるリスクがあることだ。一度運悪く、アイニー通りとルダキー通りの交差点辺りで捕まったことがある。この時、不注意なことにパスポート不携帯だった。警官は小道に入った暗い所に来るように手招きをした。これはいよいよまずいと思った。ポケットには100ドル札が入っていたのだ。この100ドルが見つかってしまえば(ほぼ確実に見つけられるだろう)、100%取られてしまう。ここで僕が咄嗟に取った行動はとても人に勧められるものではない。わざと話が噛み合わない演技をしたのだ。大きな声で英単語を並べて訳が分からないフリをした。話が通じないことにイラつき頭に血が上った警官は大声で怒鳴り散らしてきた。だが不幸中の幸いは、アイニー通りには人通りが皆無ではなかったことだ。さすがに人が見ているところでおかしなマネはできない。とにかく裏道に入らないことが防衛線なのだ。僕も屈しないよう、相手の言葉にかぶせるように意味の無い脈絡のない単語を大声で発し続けた。やがて流しのタクシーが1台こちらに走ってくるのが目に入った。僕はすかさず停車させ、警官に背を見せずに後ずさりをしながら車に乗り込みホテルに戻った。こうして何とかピンチを切り抜けたのだった。正直、生きた心地がしなかった。ドゥシャンベでは夜の一人歩きは絶対してはならないし、警官ほど危険な人種はないということを肝に銘じたのであった。