こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア57 ドゥシャンベで迎えた

4階の部屋は夜には涼しくなり僕は気持ちよく眠りに落ちていた。そこへ前触れもなく、深夜3時に大きな声とドアを執拗に叩く音が深い眠りを破った。この深夜に一体何事だと言うのだ。火事でも起こったのか。眠気まなこを擦りながらドアを開けると、おじさんが立っていた。彼は僕に何かを大声で伝え、僕は頷くふりをした。勿論何を言っているかはサッパリ分からない。ただ筆談しているほどおじさんも暇ではなさそうだ。彼はその後、隣の部屋で同じように客を叩き起こし何かを伝えては更に隣の部屋で同じことをしている。これを片っ端からすべての部屋でやっているのだ。そして客も客で迷惑がる訳でもなく部屋から出てくるとぞろぞろと階段を下りていく。僕も人の流れを追うことにした。1階に下りて彼らが入っていった先は食堂だった。おそるおそる食堂を覗くと、テーブルに並べられた沢山の食事に人が群がっていた。これは何か夢か幻でも見ているのだろうか?

少なくとも火事ではなさそうなので、部屋へ戻ることにした。気付かないくらい瞬く間に眠りに付いた。目覚めた時、久しぶりに爽やかな熟睡感があった。

 

向かいのカフェでオムレツを食べながら、深夜の出来事が夢なのかまことなのかを考えていた。深夜3時の晩餐。何かやむに已まれぬ事情があったのか?特別な日なのか?早朝に出発するツアー客の食事なのか?どう考えても正解が出てくるようには思えなかった。数時間前の出来事に関わらず、深い眠りと眠りの間にカットインされたせいか、映像がどうしてもモノクロでしか思い出せないのだった。

朝食を食べて部屋へ戻ると、眠気に抗することが出来ず横になってしまった。暑さで目が覚めると既に昼過ぎだった。今日も陽が照って暑い。避暑のためメルブに出掛けた。イスカンデルプレートという、薄切り肉にヨーグルトを掛けたものを食べていた。メルブは昼間こそ客足が多少あるが、ランチの時間を過ぎたあたりから客足がぱたりと止まる。いや、そもそもドゥシャンベに来てからずっと気になっているのだが、街の中心ですら外を歩く人が異常に少ないのである。車の交通量はそれなりに多いのに、である。何かがずっと引っかかっていた。

 

さて夕食は中心まで出かけるのが面倒だし、昨日のようなことがあっても嫌なので、近くの店でケバブを買って歩きながら食べていた。昼の料理もケバブの一種だから2食続けてケバブだ。振り返ると、ビシュケクで最初に食べたのもトルコ料理だった。更に言うと、セミパラチンスクでお世話になった家族の次男もトルコに留学していたはずだ。そう考えると、中央アジアとトルコの繋がりは意外に深い。この地域は広い意味でのトルコ圏なのだろうか。

そんなことを考えながらケバブをかじっていると、おじさんが強い口調で僕に何かを言ってきた。僕は何かまずいことをやらかしているのだろうか?そう思い始めると、すれ違う人すれ違う人がこちらを睨み付けてくることに気が付いた。

僕は一つの可能性を考えた。そしてネットカフェに入りその可能性を確かめることにした。調べたところ僕の推測は当たっていた。

それはラマダン(断食月)である。2011年は8月1日からラマダンに入っていたのだ。だから昼間に人が歩いていないし、食べ歩きを咎められる訳だ。では昨夜の出来事は?あれは夜が明ける前の、絶対に忘れてはならない朝食だったのだ。だから、びっくりして心臓が止まるくらいの大声で人々を叩き起こし回っていたのだ。