こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア58 ホジャンドへ

2011年8月13日

ドゥシャンベには1週間滞在した。いけずなファルハングのおばさんとも毎日挨拶しているうちに打ち解けるようになった。夜も快眠できるようになって生活リズムも安定してきた。冷蔵庫がバザールで買った果物たちでいっぱいになり、どれを食べるか考えるのが楽しみになってきた頃だったので離れるのはちょっと寂しかった。

ドゥシャンベではイベントと呼べるものはほとんどなく、街中で理由なく警官に呼び止められ、彼がただ一言「金」と発したのに唖然としたくらいしか思いつかない。ウズベクビザを予定通り金曜日に18ドルで受領したことを受けて街を出た。

今日はタジク第2の都市ホジャンドへの移動だ。8人が詰め込まれた窮屈なランクルだった。120ソム(2,000円)。ホログからの移動に比べるといくらか安い。道が良いためだろう。だが風景が単調な訳ではなく、ドゥシャンベを離れると早速雄大な山岳風景が現れる。これだけでも十分見る価値があるものだ。

ドゥシャンベからホジャンドの道中には大きなトンネルが2個ある。そのうち一つ目がアンゾブトンネルという全長5㎞に及ぶ長大なトンネルだが、普通のトンネルとは到底言えない。あちこちの壁からすさまじい勢いで湧き水が噴き出し、トンネル全体が池のようになっているのだ。池の底とでも言うべき路面も水による浸食作用なのか相当にガタガタに傷んでいる。とどめは全区間を通して照明が一つもない。まるで鍾乳洞の地底湖を手探りで進んでいるような、そんな感覚だった。

そして2個目のトンネルはもっと問題があったのか閉鎖中だった。おかげで非舗装の旧峠道をえっちらおっちら登る羽目になった。この国の移動はなかなか一筋縄ではいかない。

さてホジャンドには午後4時半に着いた。車を降りて町を見渡した。ホジャンドの周りは低い岩山が取り囲んでいる。どこかに雰囲気が似ているなと記憶を思い返していたらオシュだった。後で地図を眺めながらああそうかと合点がいった。ここからはドゥシャンベよりもオシュの方がアクセスが容易なのだ。タジクでは、ムルガブ、ホログ、ドゥシャンベ、ホジャンドの4都市を巡って来た。だがどの一つとして同じ雰囲気の町はない。別の国と言っていいくらいだ。中国の都市がどこも金太郎飴のように似通っているのとは対照的である。それに町と町の移動も山のせいでままならない。この国の地理的条件は容易ならざるものがある。

ホログからの移動に比べればましとは言え、長時間のすし詰め山岳ドライブは体にこたえる。暑さと酔いで気分が悪い。ひとまず宿に荷物を置いて、1階の食堂でサラダとマカロニを摂った。場所はガヤガヤとした雰囲気だったが、どちらも期待値を超えて美味しかった。飲み物は暑い中あえて熱い緑茶にする。紅茶でなく緑茶があるというのが中央アジアの推しポイントだ。汗が一通り噴き出すと不快感はいくらか消失した。

投宿した宿はホテルシャルクという大きなバザールに隣接した建物の3階部分である。ツインで30ソモニ(500円)と安く、汚く悪い宿だという事前情報に身構えていたが、期待値を下げていたせいか「悪くないね」というのが第一印象だった。ただ旅行者ではなくバザール商人のための宿なので、何というか雰囲気がちょっと違う。シャワーや水道がなく、水が汲み置きであることもマイナスポイントだ。もっとも思い出せないくらいホットシャワーのない生活が続いていたので、僕にとってはあまり気にならなかったのだが。

バザールの前は大きな広場だった。夕刻、強い西日で作られた長い人影が広場を交錯する。しかし日が沈むとあっという間に街は暗くなり、人もどこかへ消えていった。宿から東の空を眺めると、濃紺の空に満月が綺麗に輝いていた。