こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア52 ドゥシャンベ タジキスタン

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ドゥシャンベでは街の中心から2㎞ほど南西に外れたところにあるファルハングというホテルに投宿した。ここはサーカスに近いという点を除けば何の特徴もない、飾り気を一切排した4階建ての典型的なソ連式ホテルで、外観を見ただけで中身はきっと期待できないだろうということが推測できるホテルだった。しかもひどいことに、上階を希望したのに、あてがわれたのはよりによって1階の荒廃した部屋だった。ベランダのすぐ向こうに人の往来があり落ち着かないし、カーテンを開けにくい。おまけにクーラーもない。ひとまず長時間ドライブの寝不足を取り戻すため、ベッドで横になったものの眠りには辿り着けず、部屋にいるのも苦痛になってきたので外に出ることにした。

外の電光表示は気温35度を指していた。かまどのように暑い。暑いせいなのか、人が歩く姿も殆ど見かけない。

ミニバスを乗り継ぎドゥシャンベの中心地区に出た。市街中心はこぢんまりとしていて、ルダキー通りさえ覚えておけばだいたいの用事を済ますことができる。ルダキー通りは街を南北に貫くとにかく広くてとにかく長い通りである。数値上は中央アジアにもこれより広い通りがあるだろうし、これより長い通りもあるだろう。だけれども、このルダキー通りほど見る者に長さを印象付ける通りはそうそうない。道の両側はきれいに手入れされた並木が並ぶ。道の真ん中に立ってルダキー通りの終点を見渡そうとすると、遠近効果で緑の並木が一点に集約していくのだが先は霞んで見えない。ジェット機が離発着出来るのではないかとすら思えるほどだ。なおこの6車線の道路には信号が殆ど付いておらず、歩行者は任意のポイントで思いついたように渡る。車も慣れたもので、歩行者が渡る姿を見ると停止するのが習わしのようだ。官公庁やコンサートホール、大使館など都市の主要機能の殆どは、この通りに沿って点在している。ドゥシャンベは、ルダキー通りに始まりルダキー通りに終わる、と言っても過言ではない。

通りに面したひときわ目立つカフェで昼食を取った。店の名はカフェメルブという。100席以上ある大きな店で、通りに面した側が全面ガラス張りで採光が良く、スチール製のシンプルな椅子とテーブルも気取らない雰囲気でいい。腹ごしらえにチーズバーガーとチキンサラダを食べた、味は悪くない。これで16タジクソモニ=260円。(ちなみにドル/ソモニのレートはムルガブで4.3、ホログで4.7、ドゥシャンベで4.8くらいだったから、だいたい1ソモニ=16円程度になる。2011年8月当時。)財布は痛まないし、幸先良くいいカフェを見つけられたことが嬉しかった。

だがいいことの後には悪いことが待っているのが旅の常だ。店を出た後ルダキー通りで写真を撮っていると、警備中の警察に呼び止められた。撮影していた建物が大統領宮殿だったらしい。そこまではよくある話だが、この警察官は注意し写真を削除させるだけにとどまらず、親指と人差し指を擦るジェスチャーで金をせびって来た。ここまで露骨な金銭要求は初めてだったので僕は面食らった。足早にその場を立ち去り難を逃れたが、これはドゥシャンベにおける悪い慣習の始まりに過ぎなかった。

ホテルファルハングは中心から離れている上に交通の便が悪い。ルダキー通りの南端を東西に走るアイニー通りを西へ2kmほど行けばよいのだが、運悪くこの交差点が工事中で車両が乗り入れないため接続が悪い。トロリーバスのルダキー通り南端からアイニー通りのバス乗り場までが結構歩かされる。今の自分にはこのちょっとした足労が苦痛だった。ホテルに戻って来た時には、ランチに出掛けただけなのに疲労困憊だった。知らないうちに眠っていたようで、気付いた時には夜8時だった。外に出て見ると、ホテル前の大通りをどこから湧いてきたのか沢山の人が歩いていた。昼の静けさは何だったのだろう?疑問に思ったものの思考が低下していたのですぐに考えるのをやめた。街を少し歩いたが夕食を食べる元気はなく部屋へ戻った。しかし部屋の暑さは昼間から何ら緩和されておらず、寝付けない一夜を過ごした。