こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア55 タジキスタンと中国

f:id:stertwist:20211230214546j:plain


ドゥシャンベを歩いているとタジクと中国とのつながりを感じる場面がある。街を走るミニバスは中国から提供されたのか、「中塔友誼車」(塔は塔吉克斯坦(タジキスタン)の頭文字)と書かれている。それにすれ違う若者が笑顔で「ニーハオ!」と挨拶をしてくる。中国人と間違われることはよくあることだが、面と向かって好意的にニーハオと言われることはとてもまれだ。正直どう反応してよいか戸惑うものがある。少なくとも言えることは、タジキスタンの対中感情は表面的には悪くなさそうだということだ。

中国はタジキスタンと国境を接する4か国の一つ(残り3つはキルギスウズベキスタンアフガニスタン)であり、両国はムルガブ辺りのパミール辺境地帯で数百キロの国境線を有している。そして中国人であれば越えることのできる国境も存在する。タジクと中国間のここ最近の歴史的な出来事と言えば、未解決だった国境線の画定作業を2011年1月に行ったことだろう。タジクは中国に1000平方キロメートルを割譲することで合意したとされている。タジク政府の説明によれば、当初中国が要求していた2.8万平方キロメートルのうち譲歩したのはたった3.5%に過ぎないということだ。タジク中国国境地域は無人地帯で戦略的価値も見出しにくいし、それに譲ったのは以前から中国が実効支配していたランクル湖周辺「だけ」だから、タジクの実質的な外交勝利だと言うのがその主張の核だ。この説明を鵜呑みにすると、中国は領土的野心よりも国境画定を急いだように見える。だが奇妙なのは、国境線の画定というこの非常に重要な取り決めの肝心の中身に関して中国側から具体的な言及や発信が全くないことだ。更に不可思議なことに、割譲した3.5%の土地がどこなのかがよく分からない。今グーグルマップを見ても、タジク‐中国の国境線は破線になったままなのだ。

素人があれこれ妄想を膨らまして解答が導かれるものではないのだが、「何か」がこの辺境で静かに進んでいる可能性はある。そして目に見える形として現れた時には「あっ」と驚くのかもしれない。

しかし中国がここまでタジクに関与しながら、ドゥシャンベに中華料理店がないのには全く困ったものだ(2011年時点)。