こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア28 ビシュケク 2011年7月

9時に目覚めたが、宿はまだしんとしている。キルギスの朝は遅い。この街には旅行者がすることが特にないのだから仕方ないと言ってしまえばそれまでであるが。少なくとも2011年の時点では、ビシュケクは「沈没」の街であるというのが、旅行者の共通認識だったと思う。

 

「沈没」をひとまず、移動もせず観光もせず2週間以上にわたり宿に籠って生活する事と定義する。長期旅行に憧れを持っているが長期旅行に馴染みにない人にとっては、この「沈没」は嫌悪の対象になるかもしれない。だがそれは、仮想的な旅行者を理想としているからかもしれない。

つまり、毎日のカレンダーが移動とアクティビティでびっしり埋められ、世界を転々としている旅行者像を作り上げているのかな、と思う。

 

しかし旅は、そもそもからしてしんどいものだ。大きな荷物を持って移動することがまず体力を消耗する。ホテルを出て目指すバスターミナルに至る道のりが、最初の壁として立ちはだかる。市内を循環する地元民のための公共バスは、たいてい行き先が分かりにくくできている。ではタクシーが便利な選択肢だろうか?いや、日本のように良心的なメータータクシーが流しで走っているのは例外的で、タクシースタンドにたむろするクセのあるおじさん連中に話し掛ける必要がある。英語の通じないドライバーに、行き先を間違いなく正確に伝えることは意外に難しい。それに何と言っても値段交渉が難関だ。「how much?」と聞くのは、あなたの言い値で乗りますよと言っているようなものだから避けたい。つまり相場を下調べすることが、タクシー利用の前提となる。しかも事前に交渉しても、それを破棄してぼろうとする人たちもいる。だからそこまで心配するなら歩く方がまだ楽だ。その境界線は徒歩20分圏内かどうか、というのが僕の感覚だ。

バスターミナルに到着してからの仕事は、目的地までのチケット入手だ。次に出発する便が旨い具合に10分後でちょうど空席が有るなんてことは、そうそう起こらず、たいていは何時間か待つことになる。そうならないためには、事前にスケジュールを調べたり、予めチケットを買うなりしておけばいいのだが、そのためにバスターミナルを余分に往復するのが意外に面倒なのである。

バスに乗ってからは、尿意との闘いという別の困難が始まる。バスに乗る前の待ち時間にカフェでコーヒーを飲むのは、ついついやりがちなことであるが、これは乗車後1時間に猛烈な尿意が襲ってくるから必ずしもお勧めしない。中国のバスだと、5時間休憩なしでぶっ通しで走り続けることも珍しくないから、道中の大半を破裂しそうな膀胱との闘いに費やす羽目になる。旅行者は必ず一度はこの経験をしているはずなので、各自対策を練っているはずだ。僕も個人的なノウハウは持っているが、それはどこかで詳述したい。

 

こんな風に旅の移動は最初から最後まで困難に満ちているのだが、目的地に到着すれば、次は宿探しという別の難しい課題が立ちはだかる。清潔で快適で便利というのはもちろん重要な要素であるが、バックパッカーにとって死活的なのは安いかどうかだ。バックパッカーの予算ポートフォリオを考えてみれば分かるが、圧倒的に宿代が大部分を占めているため、宿の値段で旅行期間が決まってしまうのだ。では安ければ安いほどいいのだろうか?ここで時間に注目しても、バックパッカーポートフォリオは、宿で過ごす時間がかなりの割合を占めていて、旅の快適度や印象にも大きな影響を与える。ベトナムを旅行中、僕は値段交渉も兼ねて、平均3軒ホテルの部屋を見てから決めるようにしていた。120ドル近く使ったこともあり、当時としてはかなりの大盤振る舞いだった訳だが、ハノイの旧カメリアホテルのように、泊まったこと自体が思い出になっている場所もある。しかし一方で、その町定番のホテルが決まっている場合もある。またドミトリーが平気かどうかや出会いや情報交換を求めるかや個人の好みもあるので、誰にでも適応できるルールがないのが、宿探しの難しさである。

 

こういった感じで、旅はエネルギーを消耗させることが次から次に押し寄せてくるので、休息が必要だ。もしここで休息を取らなかった場合、何が起こるかというと感受性の飽和である。

旅の初めは、あらゆる体験が新鮮で驚きや喜びや感銘に満ちている。それが、やがて時間とともに慣れが生じ、薄れてくる。そして更にそのまま旅を続けていると、ついには何も感じなくなる。つまり、どんな美しいものを見ても何のポジティブな感情も湧きおこらず、写真を撮らねばという義務感だけに駆られるようになるのだ。これは本末転倒ではないだろうか。

 

この飽和は個人差があるだろうが、2週間程度で起こると僕は思っている。こうなったら、受容体が復活するまで刺激を止める期間が必要だ。

だから沈没も時には必要なのである。

 

ただし沈没に負の側面があるのも事実で、それは、沈没につきものの日本食、漫画、酒、その他諸々によるものだろう。だから、精力的に旅行するのが2週間なら、休息を取るのも2週間までと決めておけばいいんじゃないかと思う。

ただ、日本にいる時に、何度も「ゆっくりしたい」と思って海外に出ているのであれば、無目的に時間を過ごすのは心が最も欲していることを実行する贅沢なのであると言えるかもしれない。