こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア3 ウルムチ

2011年6月25日

蘭州から硬臥で12時間かけて敦煌まで来ると、更に風景が乾いたものに変わっていく。空は雲一つなく澄み渡り、遠くに大きな砂丘を望む。防砂林のポプラが天に向かって伸びようとしている姿が青い空によく映える。
敦煌の町自体はとても小さく見るべきものは何もないが、それが却って落ち着く。手の届く範囲で生活できる感覚が旅の負担心理を低減させる。
物価水準と観光地入場料の大きな乖離が、いわゆる名所から足を遠のかせる。1泊30元の宿に泊まって10元の食事をしていれば、160元の砂丘は遠くから眺めればいいと思ってしまうし、写真撮影のできない莫高窟はハナから対象外になる。敦煌という有名な観光地に来ておきながら、恥ずかしながら何も見ていない。でも敦煌を素通りしている旅行者もまた多いのではなかろうか。その場合、きっと語らないので分からないのだ。

敦煌には2泊した。その後、敦煌から夜行バスを乗り継ぎ18時間かけて、とうとうウルムチまでやってきた。上海を出発してちょうど丸一週間になる。費用は宿代と交通費を足して1040元だが、それでもまだ飛行機の一般的な値段の半額程度だ。だから「日々の宿代や食事代を足していくと、結局飛行機とコストは変わらない」という言い訳は通用せず、鉄道が第一選択として残り続ける。もっとも今はオンライン予約ができるようになったから、毎日駅に出掛けて電光掲示板とにらめっこする必要性もなくなったし、かつては入手不可能だったウルムチ-上海の硬臥にも乗れるようになった(はずだ)。

ウルムチは蘭州に輪をかけて暑かった。そして街は広かった。炎天下のなかバックパックを担いで、街を端から端まで歩いての宿探しは、本当に難行苦行だった。ガイドブックを片手に、ドミトリーあるいは安いシングルルームを求めてボゴダ賓館とクジャクマンションに当たったが、どちらもバックパッカー向けの安い部屋はなくなっていた。プランAが外れると途端に難しくなるのが、中国のホテル探しである。飛び込みでホテルを当たっても宿泊出来る可能性は低く、これは外国人を泊めるために特別なライセンスを要するからだ。最も安い部類に属する「招待所」がこのライセンスを持っていることは、ほぼない。従っていきおいどうしてバックパッカーが泊まれる施設は限られてくる。
最後の選択肢は新疆飯店。これがガイドブックに載っている最後の安宿だ。場所は市街南部、長江路と外環路の交差点の北東角にある。僕は地図に従い長江路を南に向かった。交差点に差し掛かったところで左を見ると、なんと建物は工事中だった。これで候補がすべて消えたか、と絶望したが、もう少し進むと新疆飯店が姿を現してきた。分かりにくくて恐縮だが、45度斜めの南西方面を向いていたため見付けにくかったのだ。
部屋は二つベッドが置かれただけの非常に簡素なものだった。床は一度もワックスがけをされたことがないであろう20㎝四方の、時代遅れのくすんだタイルが並べられ、表面はざらざらした砂埃に覆われていた。窓は防寒のためか二重窓だが、エアコンはない。天井が印象的なほど高く、廊下側もドアより上部が窓になっている。廊下から繋がる共同シャワーは、スリッパを履かないと入れないくらいに汚い。そして水道の配管全体が鉄錆にやられている。共同トイレは、よく足元を見てどこに足を置くか、考えないとひどい目にあいそうだ。まあ60元だから良しとするか。