こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア21 アスタナ カザフスタン

2011年7月18日

夜まで部屋を独り占めしたまま、ついぞ誰も現れることなく床に就いた。入眠はスムーズだった。やっとまとまった睡眠がとれると思うと、心が緩んで無防備な状態になった。しかしそれは束の間のまどろみだった。
深夜2時に二人組の男がやって来た。彼らのがやがやと大きな話し声で、僕は目を覚ました。ビニール袋をがさがさ音を立てるので目を向けると、どこで買い込んだのか大量の酒を取り出し、床の上に並べているところだった。彼らはなんと、この時間から部屋で酒盛りを始めるつもりなのだ。呆れて僕が体を起こすと、それに気付いた二人が反応し、笑いながら「サケ、サケ」とビールを勧めてきた。あまりにも非常識な振る舞いに呆気にとられていたが、社交辞令というのもあるかと思って一杯だけ頂いて、再び横になった。一方、二人は凄い勢いでどんどん酒を空けていった。やがてそのうち、酔っぱらった一人がクダを巻き始めた。そして宿のおばさんを部屋に呼び出し、グチグチと文句を言い出した。僕は仰向けのまま目を開けて成り行きを見守っていた。さぞかしおばさんは困惑しているだろうと表情を見てみると、こういうことはよくあることなのか、全く動じることなく平然としていた。彼女は奥へ引っ込み、しばらくしてから今度は警察を連れて戻って来た。さすがに警察の説得を受けて、おじさんはちょっと大人しくなった。警察も宿のおばさんも戻り、二人とも寝る態勢になった。僕は安堵した。
しかし、その後またクダまきが再開した。僕はうんざりしていた。いい加減、静かに寝るべきだ。もう一人が「寝ろ」と強引に横にしたが、それでも起き上がろうとする。次の瞬間、目を疑うようなことが起こった。なんと起き上がったところで思いっきり顔面を殴ったのだ。それだけでは終わらず、ベッドに倒れ込んだ後、馬乗りになって何度も殴り始めたのだ。そしてさっきまでくだをまいていた男は、ぐったりとしてぴくりとも動かなくなってしまった。
ドミトリーで、こんなことがあり得るのだろうか?僕は恐怖で微動だにできなかった。一瞬訪れたまどろみは、とうにどこかへ去ってしまった。時刻は4時になっていた。静寂の時間がしばらく流れた。そして5時半に別の二人組がやって来た。もう夜が明けかけているので、この二人組は気にせずお喋りをしていた。結局また眠れない夜となって朝を迎えた。

7時過ぎに駅のカフェで朝食を取った。この駅には少なくとも4つのカフェがある。外から見ると一つの小さな駅だが、中は旧駅舎に新駅舎をくっ付けた構造になっていて、ちょっとややこしい。駅の中を移動しようとすると、このつぎはぎにぶつかって目的地に辿り着けない。ホテルの入り口も分かりにくい。部屋へ戻ると同室の人達がどこかに出掛けて静かだったので、2時間寝てから新市街に出た。

今日はイシム川東岸にある、バイテレクから見えた謎のピラミッドに来た。ピラミッドの正式名称は平和と調和の宮殿という。(平和のピラミッドではない)。3年毎に行われる「世界伝統宗教指導者会議」を催す場として2006年に建てられたもので、下部のコンサートホールと上部のアトリウムから成る。コンサートホールの天井中央部はドーム型の反響版が配置され、32方向の放射状に広がる太陽が飾られている。一方で、上部アトリウムは中央部が完全な吹き抜けとなっており、底部が会議場としての機能を持つ。外側をらせん状に上っていくと、やがて最上部のドーナツ型円卓に行き着く。周りを取り囲む外壁全面が、ブライアンクラークの手による淡いブルーを基調としたステンドグラスで構成され、ステンドグラスには平和の象徴であるたくさんの白い鳩、そしてピラミッド頂部には太陽が描かれている。まるで天空に浮かんでいるような錯覚を与え、大胆な採光とブルーのステンドグラスの効果で心が鎮められる。ここ自体が非常に宗教的な場である。
ここを平和と「調和」の宮殿と名付けたことに、見識を感じる。多様性の実現が課題だと認識していることが、この国が単なる独裁国家ではないことを示しているように思えるのだがどうだろう。

ところでこのピラミッドは、2011年の段階では東の果てに位置するのだが、将来的には街の中心となるそうだ。つまり固定した設計図は持たず、発展に応じて街はアメーバのように東へ南へ延びていくということらしい。これはいかにもメタボリズムを唱えた黒川紀章らしい発想である。
物珍しい建物ばかりに目が行きがちなアスタナであるが、都市計画のコンセプトは次のようになっている。
・従来の中心に核を持つ放射状都市構造ではなく、リニアゾーニングを想定し何層かの環状道路でこれらを結ぶ。
・農業を主産業とすることで保水性を高め環境を保全する。イシム川との共生都市を目指す。
・南西から吹く冬の季節風を防ぐための森林を設ける。バイオテクノロジーにより持続可能な都市を目指す。
・大統領府はアブストラクトシンボリズムの建築とする。
・北岸の旧市街を保存する。
やや抽象的でわかりにくいが、意外なことに農業やエコが都市計画の柱であることに驚く。完成予定は2030年と、全容を現すのはまだ先である。それまでこの街は資源価格の浮き沈みを反映するバブル都市としてある時は称賛され、またある時は酷評されるだろう。
黒川紀章は2007年に亡くなった。死因は膵癌だった。2007年の都知事選での奇妙な振る舞いは、死期を知っての行動だったのだろうか。もし彼がまだ生きているなら、アスタナについてその魅力的なアイデアを聞いてみたいと思う。そしてついでと言ってはなんだが、オリパラについても・・・