こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア66 タシュケントに戻って

タシュケントに戻ってから、しばらくはアルハシラットという旧ソ連式ホテルに泊まっていた。1階のカフェはこれぞプロレタリアート食堂と呼ぶにふさわしく、暗い雰囲気の店内といい、笑顔が完全に消失した女性店員がタバコをふかしながら接客する様といい、社会主義が幸福をもたらさないことをしみじみと考えさせられる。資本主義の権化であるマクドナルドで1年働けば、0円スマイルでも身に付くものだろうか。
しかしここの汁ありラグマンは、味付けバランスが良くて侮れない。値段もラグマンが2.5kソム(=80円)、目玉焼きやウインナーが一つ15円程度と格安である。概してソ連時代のホテルに併設されたカフェに大きな外れは無いと僕は結論付けた。ただホテルのおばさんが強欲で、気分が落ち着かないため数日で出ることにした。


オイベク駅のgrand mir hotelから南西に500mほど行ったところに、中級ホテルが並ぶ路地があり、その中で宿の比較検討をした。
オルズ:70kソム、狭い、冷蔵庫付き、大通りに一番近い
サンブー:78kソム、広くてきれい、ツイン
ロウシャン:80kソム、部屋はツインでまずまずだが冷蔵庫がない。
値段と立地と冷蔵庫を重視して、僕は一番安いオルズにした。それでも2,300円ほどする。タシケント中央アジアの中で突出してホテル代が高い。
ウズベキスタンで自由な宿泊を妨げるもう一つの要因がレギ(レギストラーツィヤ)だ。ウズベクでは寝泊りした全ての都市について、宿泊証明が義務付けられている。かなり厳格な運用がなされていて、宿に泊まろうとするとウズベキスタンに入国後すべての日についてのレギを提示するよう求められる。おそらく、空白があった場合、のちのち自身の宿がレギを発行せずに客を泊めていたと疑われることを避けるためなのだろう。おざなりな確認ではなく、パスポートの入国記録で入国日を調べ、夜行列車を利用したことによる1日の空白が指摘されるほどの厳しさだった。今どれくらい緩和されているかは分からない。