こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア77 ウルムチに戻って

2011年9月8日
ウルムチでの宿は新疆飯店と決めていた。2011年時点で既にバックパッカーからは見放されていた旧式の宿であるが、窓が広く部屋が明るいことも、窓から望むロータリーの景色も好きだった。そして何より2000年代後半に雨後の筍のように作られた雑居ビルを改装した中国式バックパッカー宿が、僕はどうしても好きになれなかったのだ。ただ長い滞在中に日本人旅行者を一人も見なかったので、この感覚は僕個人の独特なものかもしれない。
部屋は前と同じ6階のロータリーに面した部屋をリクエストした。料金は60元から80元に値上がりしていたが、さすがに高すぎると文句を言ったら70元まで下がった。
2か月の間にウルムチも色々変わっていた。
イカ焼き屋台がなくなっていた。専用レーンを走るBRTというバスが開通していた。よく通った奇声わん場という地下のネットカフェも看板だけはきれいになっていた。街の浄化が凄いスピードで進んでいることを肌で感じる。
ホテル横の拌面(ラグマン)レストランは変わっていなかった。トマト卵拌麺は相変わらず安定の美味しさだった。このレストランが新疆飯店に泊まる最大の要因だったかもしれない。新疆ウイグル自治区の食事は美味しいということは声を大にして言いたい。夕食後部屋のベッドで横になり、戻って来た安堵感に包まれていた。ロータリーの喧騒が心地よい。窓から見える山が黄砂で霞んで見える。ぼんやりとY君のことを考えていた。
彼はたしかにウルムチでの経験を仕事や実用的なことに役立てることはなかったかもしれない。しかし3年ウルムチで過ごしたこと自体彼が望んだことなのだろう。その気持ちが何となく分かる気がする。この地で過ごした3年間は有意義だったのだろうと今なら言える。心残りは、ウイグル語の教科書を作るという話を果たせなかったことだ。一度話をしかたったな。
日没間近の街を歩いた。23時まで明るかったウルムチも今は22時で空が暗くなる。一陣の風が体をすり抜けた。ひんやりとした風が季節の変わり目を告げていた。