こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア75 ホタン(和田)

2011年9月7日

バスは朝6時にホタンに到着した。しかし新疆時間を適用すると実質的には4時でまだ暗い。車内が汚く眠れなかったのでホテルで休みたかったが、バスターミナル併設の交通賓館ですら160元と高く、横になるのは諦め広場で座って朝が来るのを待つことにした。この団結広場と名付けられた広場の中心には、毛沢東ウイグル人男性が握手する大きな像が鎮座している。団結という美しい名称が付けられ、融和の像がわざわざ建立されていることは、峻烈な反目が存在することを示唆している。ここホタンは新疆の中でも特に抵抗運動が激しい地域である。カシュガル漢人化が進んだのは1999年に鉄道が開通したからだが、ホタンは2年後(2013年)に控えたホタン線の開通を前に最後の抵抗を試みていた。


タシュケントからアンディジャン、オシュ、カシュガル、ホタンに至るシルクロードを振り返ると、乱暴な言い方をすれば暴動ロードでもある。東西の往来は商いも生めば衝突も発生する。今は東から西に圧倒的な波が進んでいるが、いずれかの時代には反動もきっと起こるだろう。ムスリムに苛烈な仕打ちを行った代償を、未来永劫払わなくて良いというのはご都合主義と言うものだ。

さて8時になると空が白み、人々が広場へ集まり始めた。大ほうきで広場を掃く人、ジョギングをする人、社交ダンスを踊る人、エア社交ダンスをしている人など多種多様な人々がどこからともなく湧いてきて、広場はあっという間に賑やかになった。いかにも中国的な風景だと思う。そのとおり、団結広場の融和の像の前で踊っているのは全員漢人なのだ。なんという皮肉であろうか。


十分空が明るくなったことを確認してバスターミナルに戻った。ウルムチ行は毎時出発しているが、今日出発のものはあらかた売り切れていて、一番早い便が17時発だった。387元とホタン行き95元と比べても高すぎるように思ったが、それだけ距離が長いのかもしれない。

ウイグル人は東方のバザール周辺に固まって住んでいる。ホタンのバザールはカシュガルと比べてもウイグル色が一層濃厚である。羊・鶏の丸焼きが並び、シャシリクのかまどから出る煙が辺り一帯にもくもくと充満し食欲をそそる。そう言えば、この旅でシャシリクを殆ど食べてないことを思い出した。今からでも取り戻そう。食堂に入りシャシリク5本(1本3元)を注文した。やや肉は小ぶりだが、ハラミやレバーも混じり香辛料がよく効いたシャシリクだった。美味しかった。店内はウイグル人でいっぱいで雰囲気は強かった。店の外に出てバザールを歩いた。長いひげを蓄えた男達が拡声器で必死に客を呼び込み、道端では色とりどりのスカーフを被った女性が新鮮で色鮮やかな果物を選りすぐっている。ここはウイグル人ハートランドだと思った。そこには昔から変わらない信仰と情熱の生活が根付いているように見えた。
団結広場と逆に、バザールに漢人が入り込むことは決してない。紛れもない断絶がそこにはある。この事実を覆い隠したまま力でねじ伏せようとすることが唯一の解だろうか。






オシュ以降、移動続きできちんと休めていないせいか、体はしんどかった。しかし次はいよいよウルムチだ。長時間の移動を覚悟し、寝台バスに乗り込んだ。