こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア34 ウズギョン キルギス

2011年7月30日

 

オシュの生活にも退屈していたので、バスに1時間ほど揺られ、オシュ北東50㎞の町ウズギョンに来た。この小さな町は、山から流れる2つの川に挟まれた場所に位置する。町は小さいものの人は多く賑やかで活気がある。町中を韓国DAEWOO社の軽自動車が走り回る。なぜこのマイナーな町を韓国車が占めているのか。そう言えばオシュでも、スレイマン山麓の公園で20人くらいの韓国の若者がダンスを披露し、ちょっとした人だかりができていた。韓国と南部キルギスに何かつながりがあるのかもしれない。

ウズギョンには町のはずれに、太くて立派なミナレットがある。内部の真っ暗で斜度の強い階段を登り切ると展望が得られる。ウズギョンは上から眺めるとやはり小さな町だ。町は見渡せる範囲にある。川の向こうは人の住まない茶色い岩山であるが、手前の平野にはポプラの木や耕作地が広がる。水と緑のある風景は心を和ませる。

さて、ミナレットを降りて町を歩いた。細い迷路のようなバザールには色とりどりの野菜や肉、それに串肉の食堂が並ぶ。改めてこの町の食材の豊かさを実感する。昼食はレストランでマスタブという料理をいただいた。このマスタブは、色々な部位の羊肉の煮込みにヨーグルトとチリソースをかけたものだが、香りがとても良く本当に美味しかった。パンとセットで80ソム(150円)と安さも魅力だ。少なくとも旅行している分には、この町から貧しさを感じることはない。

 

このウズギョンの住民は8割をウズベク人が占める。旅行者から見た目には、キルギス人との差異は分からない。ただ、社会的役割ははっきり分かれている。ウズベク人は農業や商業に従事し経済的に成功している。一方、キルギス人は政治・警察を掌握する。裏から見ると、公務員になれないキルギス人はウズベク人の元で働くか、ビシュケクへ出稼ぎに行く必要がある。キルギス人にとっては経済的に虐げられている気分だろう。しかしウズベク人も、公権力を前にして不公平と諦めの感情を抱く。それでも経済が安定し、治安維持がしっかり機能している分には問題は起こらない。

この地域で記録に残る最初の紛争は、ゴルバチョフペレストロイカを進め、ソ連体制の矛盾があちこちで噴き出す19906月のことである。集団農場を巡る争いでウズギョンのウズベク人がキルギス人に襲われ、300人から600人の死者を出した。なお、この騒乱はソ連の強力な介入により速やかに鎮圧された。

そしてちょうど20年後の20106月、キルギス南部で悲劇は繰り返されたのである。