こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア31 オシュ キルギス


2011年7月

オシュでは、アライという旧ソ連式のホテルに泊まることにした。1泊400ソム(≒800円)。例によってベッドは狭く、横になると深く沈み込むが、窓からの採光は良好で雰囲気は悪くない。共用トイレは貴族の館のように異常に広く、一見荒廃したように見えるシャワールームも勢いよくホットシャワーが出るので快適だった。着いた日は疲れていたので、外食はせずスーパーで買ったケフィールに砂糖を入れて夕食にした。

さてオシュという街は、これはもう北のビシュケクとは全く雰囲気の違うところである。アスタナ、アルマティ、ビシュケクと20年ずつ時代を遡っている感覚だったが、オシュは完全に違うカテゴリーに属すると言っていい。まず気候からして全く異なる。空気は熱くかつ乾いており、どちらかというと新疆に近い。また、これまで一定の比率で存在していたロシア人がここではぱたりと見かけなくなる。なお、キルギス人とウズベク人が混在しているというが僕には両者の見分はつかない。そして街並みも、本当に20年前までソ連が統治していたのかと疑いたくなるくらいに計画性や整然さを欠いている。街の中心に長大なバザールがあるのだが、建物はなく、小川に沿った無秩序な露店の密集である。いわば自然発生的な市場に屋根だけ付けたような感じだ。ただ一応規則性はあって、服、雑貨、ナッツ、と売るアイテムにより区域は決まっているようだ。狭い通路に人がひしめき、商人と客があちらこちらで言い争いなのか値切り交渉をしているのか、大きな声でやり取りをしている。なぜ街の中心部にカオスが放置されているのか疑問を抱くのだが、このバザールを中心に町が発展したと解釈すればしっくりくる。バザールの周りに商人のための住居や食堂、車が集まる場所、モスク等が建てられ、後の時代に南の辺縁部に役所や病院といった近代施設が作られていった。そう考えると黒川紀章の提唱するメタボリズム都市に発展様式が相似しているようだが、超近代都市アスタナと砂漠のオアシス都市を同列に語るのはあまりにも乱暴かもしれない。50年、いや100年後にもここがアスタナになっていると考える人は皆無だろう。

オシュのシンボルは、街の西にあるスレイマン山だ。街のどこからでも、この特徴的な形の岩山が目に入る。だから街を歩いていて方角を見失うことはない。見る向きによって、横たわる妊婦のようにも見えるのが興味深い。スレイマンとは旧約聖書における預言者ソロモン王のことで、かつてムハンマドもここで祈りを捧げたと伝えられている。またバーブルが瞑想したという小さなモスクも残る。これは宗教色が強いことを問題視したソ連政府によって1963年に爆破され、現在の建物は独立後に再建されたものだ。今もムスリムや子宝を祈願する女性にとって非常に重要な巡礼地である。

日が傾き始めた夕刻、この高さ200mほどの山を登った。風は微かに肌に感じる程度で涼しくはない。オシュ市街が遠くまで見渡せた。市街区域は思っていた以上の広がりがある。高い建物はどこにも見当たらず、のっぺりしている。平べったい白い屋根とその隙間を隈なく埋める緑のモザイクパターンが、限りないフラクタルを形成している。乾燥地帯のオシュだが、上から眺めると意外に緑豊かなことが驚きだった。やがて西のウズベキスタン方面の空は茜色に染められた。かと思うと、感傷に浸る間もなくあっという間に日は沈み街は黒一色になった。車のライトが蛍の光のように点在しているのが救いであった。走って山を下りホテルに戻った。