こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア62 アンディジャン

2011年8月15日

朝は昨夜の残りのメロンを食した。追熟が進んだのか、昨日よりも甘く感じる。暑い国の朝食としてメロンは合っていると思う。食欲がなくてもするするっと食べられる。腸も動き始めてお通じも快調だ。毎日がこんな朝なら何も言うことがない。

今いるコーカンドはフェルガナ盆地の西端にあたる。コーカンドからオシュあたりにかけての平坦な地形をフェルガナ盆地と呼ぶ。フェルガナ盆地は中央アジアでも特に肥沃な土地で人口密度が特に高い。ソ連時代にシルダリヤ川の灌漑による綿花栽培が導入され、今でも世界有数の綿の生産地である。そしてもう一つの名産品は、言うまでもなくメロンである。

さて今日は、コーカンドから東に150㎞離れたアンディジャンの町までやってきた。バスはないのでシェアタクシーに乗っての移動だ。オシュとの直線距離はわずか50㎞ほどしかなく、キルギス国境の町でもある。むしろフェルガナ盆地の西端にコーカンドがあり、東端にアンディジャンとオシュがあると捉えた方が的確だろう。

あまり旅行者の来ないアンディジャンではあるが、ムガール帝国を興したバーブルの生誕地として知られている。町の公園には廟が建てられ、廟から裏手の山までロープウェーが通じている。ロープウェーは2人乗りの小さなかごで、20分ほどで山頂に着く。ここからの眺めはスレイマン山からの眺めに似ていて、白い砂地と豊かな緑という二色の風景だ。盆地と言っても高い山は見当たらず、地平線まで平野が続く。青い空に乾いた空気、それでいて緑が多い景色は心を晴れやかにさせる。こういう場所が好きだ。厳しい気候にもかかわらず体調がいいのは、自分にこの土地が合っているからなのだと思う。人にはそれぞれその人に適した場所がある。住む場所が合っていない人はおそらく無意識に不満を抑圧して生活しているのだろう。そこに大きな運不運があるのは否めない。

ロープウェーに乗って山を下り、旧市街を歩いた。1902年の大地震であらかたの建物が倒壊してしまったものの、金曜モスクだけが奇跡的に19世紀後半に建てられたままの姿を留めている。この高い双塔は町のどこからでも眺められるシンボルとして聳えている。礼拝時間でなかったためかモスク内に人はほとんど見かけなかった。モスクの周囲にはたくさんのスイカやメロンを路地に並べられており、実りの季節であることを実感する。このように旧市街はもちろん都会ではまったくないのだが、オシュほど雑然としておらずどこかソ連ぽい画一性が漂っているのだが、それは再開発のせいなのかもしれない。

バザールに向かい昼食を取ることにした。大きな食堂でラグマンを頼んだ。ここでのラグマンが、濃厚なスープに沖縄ソーキソバのような麺が入った汁ありラグマンだったのがちょっとした驚きだった。オシュでもウルムチでも、ラグマンと言えば焼きうどんのような汁なしタイプだった。食の国境がキルギスウズベキスタンの間にあるのは発見だった。

ラグマンだけでは少し足りなかったので、パン屋で揚げパンを買うことにした。すると、なんとこの店主は頑なにお金を受け取ろうとしない。で、そのやり取りを見ていた隣の店の若い兄ちゃんも出てきてサムサを一つ手渡してきた。そしてもらった揚げパンとサムサを手に席に戻ると、近くのおじいさんが、わざわざやって来てやかんのお茶を譲ってくれた。親切を実践する心が息づく町だ。僕はすっかりアンディジャンが好きになっていた。