こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア42 ワハーン回廊への道

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アリチュルを離れてM41を少し走ると、よっぽど注意していないと見落としてしまいそうな細い分岐が現れる。この標識もない分かれ道がワハーン回廊への入り口だ。我々の車は左に進路を取り更なる辺境へと分け入った。この先、風景は単調で、草すら生えない月面世界が続く。生物の匂いはもうどこにも感じられない。変化のない道を車は休むことなくひた走った。しかしこの無人荒野の中に突如として小さな湖が現れる。雨の殆ど降らないこの場所でどこに水源があるのか不思議に思った。しかし何よりも目を捉えたのはその不気味な色だった。タジキスタンに来てからアリチュルやカラコルでこれまで見てきたような瑞々しい青ではなく、毒々しい銀色だったのだ。そして銀色の湖面は、鏡となって白い山肌を映し出していた。ここには魚など生息していないだろうし、生息できそうにも思えなかった。何か名状しがたい恐れを感じた。

 

砂煙を立てて疾走していると人影が現れた。近づいてみると、5人組の旅行者だった。彼らはこの隠れる場所のない炎天下の中、ワハーン回廊を目指して歩いていたのだ。車を止めて話を聞くと、彼らはヒッチハイクを求めてきた。それは虫が良すぎると僕は思った。彼らはきっとお金を払うのが嫌で車の手配を拒否したのだ。それなのに、他の旅行者が大枚はたいて手配した車に便乗させてもらおうというのだ。いくらなんでもそれは筋違いだろう。ヒッチするにしてもあまりに無計画すぎるし、せめてムルガブですべきだった。乗せてあげようという気持ちは僕には1ミリも湧かなかった。誰もこうしたことを口にしなかったが、思いは同じだったのだろう。ドライバーはにべもなく断った。

しばらく進むと今度は一人のチャリダーが現れた。自転車が故障して動けないようだ。これは素通りする訳にはいかない。と言っても、自転車や荷物一式を載せるキャパはない。彼は当座をしのげるだけの水を持っていたので、我々が通信可能な場所まで移動し、そこから救援を呼ぶことにした。

このエリアの旅は命がけだと思った。我々だって車が故障したらいつ通過するか分からない車を首を長くして待つ立場になるのだ。それを思うと、装備も地図もない時代にここを踏破した三蔵法師がいかに偉大で情熱的だったのか、つくづく痛感するのであった。