こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

チャーコビーチ ベトナム縦断2 2011年

僕がわざわざ海沿いのモンカイルートを選んだ理由は「チャーコビーチ」の存在だった。「17㎞に及ぶベトナムで最も長い素晴らしい硬い砂のビーチ」という紹介文に惹かれて、穏やかで優雅な時間を過ごしたいという誘惑にかられたのだった。ところで、チャーコはtracoと書くが、間違っても「トゥラコ」などと発音してはいけない。ひょっとすると口岸と誤解されてまた中国国境まで連れて行かれるかもしれないからだ。というより僕がそうだった。ベトナム語の発音は難しい。
チャーコビーチまではモンカイから7㎞。公共交通はなくバイクタクシーで行くしかないそうだ。待機していたドライバーにexcuse meと声をかけた。ガイドブックによると30kドン。しかしメモを渡しておじさんに値段を書いてもらうと言い値は100kドン。3倍以上の値段を提示されて、もうこの時点で交渉意欲が失せそうになった。そこをなんとか5分粘って45kドン(=180円)まで下がった。しかし、そこから先が岩のように堅い。もう5分粘って結局45kドンで手を打つこととした。手持ちのは2007年版のガイドブックだったから、4年の間に物価が上昇したのかもしれない。というか、バイクタクシー1回乗るのにこんな交渉せなあかんのかいな。自分には不向きだな。
モンカイとチャーコを結ぶ一本道は周囲に何もない。この手ごわいおじさんがどこか違うところに連れていって、ちゃんと連れて行って欲しければあと50kdよこせと言い出さないか心配でしょうがなかった。

幸い、チャーコビーチとおぼしき通りに無事辿り着いた。
ところで僕はうっかりしていたのだが、この17㎞あるチャーコビーチのどこで降ろしてもらうか全く考えていなかった。通りを少し進むとチャーコビーチホテルという建物が見えたので、ひとまずその前で降ろしてもらった。
チャーコビーチホテルとビーチ名を冠したホテルなのだから、代表的なホテルだと思うのだが、趣味の悪い青色で塗りたくられた国民宿舎風の建物だった。そしてそれがこのビーチの性質を物語っていた。
ここは海水浴場であって、リゾートではないのだ。

ベトナムといえども冬は寒い。寒い時期に海水浴に来る客はいない。チャーコビーチホテルの閉まった扉を乗り越えて建物内を覗いたが、電気は点かず完全に施錠されていた。この代表的国民宿舎が営業していないのだ。いわんや他のホテルにおいてをや。そもそも長い長いメインストリートに人が誰も歩いていないのだ。
歩ける範囲で周囲のホテルをすべてあたってみたがどこも開いていない。当然と言えば当然だ。困ったなあという顔をして歩いていると、こちらを見ているおじさんがいることに気が付いた。僕はいそいそと近づいて「ホテルを探しています」と英語で話しかけた。すると近くのペンションまで歩いてドアを叩いた。中から人が出てきて何やら話している。しばらくしておじさんがこちらを向いて頷いている。どうやら泊めてもらえることになったようだ。おじさんは中国語を話せるので、筆談でやり取りをし最終的に200kドンでまとまった。家族経営の全く英語も中国語も通じない宿だった。

通された部屋は3階のツインルームで、ベランダも付いて夏ならば開放的で良いだろうと想像できたがあまり清潔ではない。
早速ベランダに出てみた。風が強く耳が冷たい。目に入るのは空一面を覆う灰色の雲、そして濁った海だ。浜辺にはたくさんの漁船が係留されているが人の気配はない。繰り返し打ち寄せる波だけが唯一音を立てていた。
自分が季節外れのビーチただひとりの客だと思うと、何とも言えない寂寥感に襲われた。こうして優美な時間を過ごしたいという僕の望みは泡沫のごとく消え去った。


モンカイに出ることにした。通りを歩いて見付けたのだが、実はチャーコとモンカイを結ぶ7kドンの安いバスがあったのだ。
モンカイに来ると、人で賑わっていてホッとする。人々はなぜか愛想悪く早足で歩いている。他人に興味がないのは中国と共通だ。
ロータリーから東西に延びるメインストリートだけがモンカイの町だと思っていたが、南に進んだあたりにも飲食店がちらほらある。中でもカラオケ店が多い。カラオケ店と言っても小さな2階建ての民家で、どこも1階がガレージ風になっている。外から2階は見えず、音が漏れてくることもないので内部の事情はよくわからない。

夕食は昼と同じ屋台で食べることにした。しかし間違ってひとつ隣のテントに入ってしまった。エビの炒め物、鶏半羽、ビールを頼んだ。ランチの満足度が高かったので期待したのだが、エビは古く鶏は固かった。昼が20kドンだから40kドンくらいかなと思って支払の段になると170kドン(680円)だったので、ぼられたのではないかと疑ってしまった。やはり流行っているところを選ぶのが屋台の鉄則だと教えられた。

8時にチャーコに戻ると真っ暗だった。道路がうっすらと見える程度だ。月の光とたまに通る車のライトを頼りに宿を目指して歩く。なんとか宿に帰り着いた。部屋はかなり寒かった。冬に泊まる人がいないためか、備品は薄いタオルケットだけで毛布や暖房はなかった。持っているシャツを何枚か重ね着し、フリースをかぶって寝ることにした。