こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

芒街 ベトナム縦断3

2011年2月17日

深夜1時に寒さで目が覚めた。スントの時計を見ると部屋の気温は15度だった。体感温度はもう少し寒く、足先が冷え切ってとても眠れる気がしない。こんな寒さに震えるビーチリゾートがあるだろうか?モンカイに引き返さなかったことを強く悔やんだ。
テレビと電気を点けて本を読みながら気を紛らすことにした。そのうち寒さに慣れて眠っていた。


6時半起床。温かいシャワーを浴びてから海岸を散歩した。チャーコは遠浅の海で、満潮なのか海岸線がすぐそこまで迫っていた。穏やかな波打ち際を歩くと心が鎮められる。ふとメンデルスゾーンの「浜辺にて」が頭の中で流れた。高校生の頃、田部京子が弾くこの曲をFMラジオで聴いて目覚めるのが日課だった。


8時過ぎに来たバスでモンカイに出た。モンカイは朝から多くの人でごった返している。今日は8角形のモンカイマーケットがオープンしていた。中に固定の店舗はなくすべて仮設店舗だ。朝に中国からどどっと商人がやってきて、夕方には早々と店じまいしてさっと商品ごと引き上げる。
モンカイにはレストランはほとんどない。かわりに屋台がたくさんある。まるで、この町の人達にしてみればモンカイはしょせん仮住まいなのだから、有り合わせのもので間に合わせようと考えているようだ。
豚肉とツミレのフォーに香草をちぎり入れ食べた。フォーを食べると体が温まる。これで20kドン(80円)だから安い。みんな屋台で十分だと考えているのだろう。
ロータリーを反対側に進むと石橋を渡る。このフランス風のアーチ橋の下を流れるのがカロン川だ。お世辞にもきれいとは言えない川に、ぼろぼろの小舟が数十隻鼻を突き合わせている。橋と周囲の景観はかなりちぐはぐだが、誰も気にかけている様子はない。フランス橋に合わせて町の美観を改善しようと考える人はしばらく現れなさそうだ。
橋を渡ってしばらく進むと右手に宮殿のような外観のカジノを見つけた。だがこれは入れなかった。また国境のすぐ近くにも立派な張りぼてみたいな建物があったのを思い出した。気になって歩いて行ってみた。中に入ってみると本当に内部は空っぽの張りぼてだった。ここもカジノになるのだろうか?
この町は金儲けの機会に吸い寄せられて群がってきた人たちで形成された町なのかもしれない。芒街という当て字がしっくりくるように思われた。なんだか切ないな。


さて昨日と別の店でアイスコーヒーに再挑戦した。少し安くて15kドン(60円)。昨日と同じく、アルミカップを乗せた陶器カップと氷のグラスだ。やはりアイスコーヒーを頼んだらアイスコーヒーが運ばれてくる、というのではない。それに氷のグラスが今日もある。ということは!
抽出した濃いコンデンスミルクコーヒーを氷のグラスに注げばいいのだ。撹拌するとたちまちにしてキンキンに冷えたアイスコーヒーの出来上がり。丁度グラスなみなみになるよう計算されているので心配せず一気に注いでみよう。甘くて美味しいアイスコーヒーだった。一瞬にして飲み干してしまった。ちなみにブラックのアイスコーヒーはカフェ・ダー、コンデンスミルク入りをカフェ・スア・ダーと言う。

歩き疲れたのでチャーコの宿に戻る。今度は干潮で海岸線が遥か彼方だ。打ち上げられたイカがヒクヒク動いている。元気なら潮干狩りをしてもいいかなと思った。もちろんそんな気力はない。すぐ横になった。
扉をノックする音がする。出てみると宿のおばさんが立っていた。もう一泊するなら200kドンを払ってくれ、ということのようだった。僕はおじさんに2泊で200kドンと伝えたつもりだが、おばさんにはうまく伝達されていなかったようだ。
しかしまあツインルームで1泊400円というのはいくらなんでも安すぎるだろう。言葉が全く出来ないのはこれからベトナムを旅する上でも支障があるし、午後はベトナム語の勉強にあてることにした。

夕方に食事のためモンカイに出た時には、傘がいるほどではないが小雨が降り始めていた。夕はまたフォーガー(鶏のフォー)にした。本当にフォーの出汁は美味しくて、それがかろうじて心の救いになった。
チャーコへ戻るバスはもう終了していたのでバイクタクシーで戻ることにした。値段交渉には慣れたが夜道のバイクは心細い。早く着かないかと顔を横に出して前ばかり見ていた。霧雨が顔に当たって冷たい。街灯のオレンジ色の光がぼぅっと滲んで、暗闇のなか道路に沿って点々と続くさまが不気味だった。