こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア63 コーカンドからタシュケントへ

2011年8月16日

今日は首都タシュケントへ向かう。今は鉄道が開通しているそうだが、2011年当時は公共交通機関がなかったため、乗り合いタクシーが唯一の手段だった。言い値が50ドルとふっかけられたのでシェアするための同乗者が現れるのを待っていると、颯爽とビジネスマン風の男性が現れ僕と彼の二人で出発することになった。僕が払ったのは20kソム=9ドルだから、彼が残り4人分を払ってくれたのだと思う。

フェルガナ盆地からタシュケントに向かう道は、タジキスタンのような「目を見張る」景色ではないが、乾いた山の中を縫うように走る気持ちのいいドライブウェイだ。ただ急に大渋滞が発生して車が進まなくなってしまった。追い越し車線に出て渋滞を抜けたのだが、視界に入って来たのは数十台の戦車の車列が峠をゆっくり登っている姿だった。フェルガナ盆地の人々はこの光景を見て日常を過ごしているのかと考えると、少し背筋が寒くなるものがあった。


タシュケントに行くまでの間に検問が2か所あり、うち2か所目でレジスターを行う必要がある。まるで出入国検査みたいだ。そしてこの「出入国検査」を終え、トンネルを抜けるとフェルガナ盆地を脱出する。ここでちょっとしたトラブルが起こった。後部座席からこのトンネルを撮影しようと僕がカメラを構えた瞬間、ドライバーとビジネスマンが同時にこちらを振り返り、間髪入れずにカメラをはたき落としたのだ。それが本当に一瞬の出来事で、時間にするとカメラを構えてから1秒にも満たないくらいだったので、何が起こったのか僕には理解できなかった。しばらくしてから、トンネルを撮影するだけでテロリストと見なされ、この同乗者たちも協力者として逮捕されるおそれがあるのだと分かった。戦車の件と合わせて、この地域の住民が日々強いられる大きな緊張感を痛感させられた。

タシュケントには13時に到着した。トルキスタンというホテルに泊まった。安宿だったはずなのだが、大幅に改修されて中級ホテルに生まれ変わっていた。値段も一番安い部屋で50ドルと高かった。ただこれは名目上の値段で実質的にはもう少し安くなる。からくりを説明すると、中級以上のホテルではウズベクソム払いにする場合に公定レートが適用されるからだ。そこから更に値段交渉をして70kソム、つまり約30ドルまで下がった。4割引である。中級ホテル以上ではこの技が使えるので、やってみる価値はある。


さてピカピカのロビーと廊下を見ると高級ホテルと見まがうかのような立派さで、部屋も真新しい家具とフローリングで固められている。ただトイレだけが耳無芳一のように忘れられ、リノベーションされずに残っていた。長年の経過で黒ずんだ和式の便器、変色した床から滲みだす何とも言えない臭いが、かつてのホテルトルキスタンが古く朽ちた宿であったことを語っていた。1階だからなのか、やたらとハエが多い。しかも俊敏で簡単には叩き落とせないし、日本のハエより硬いのか、丸めた包装紙がヒットしたくらいではビクともしない。途中からは諦めて共生を選んだ。