こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア25 アルマトゥイ カザフスタン

アルマトゥイには日本人墓地がある。ここに眠るのは、シベリア抑留で亡くなった方たちである。

シベリア抑留でカザフスタンに送られた日本人はおよそ6万人とされている。彼らはアルマトゥイ、アクモラ(現アスタナ)やカラガンダ炭鉱で強制労働に従事した。アスタナは冬には強い季節風が吹く世界で2番目に寒い首都であり、カラガンダ炭鉱も環境劣悪な収容所として知られる。この極寒の地での抑留生活は、スターリンが死去し強制労働を解かれるまでの十余年続いた。そしてこの間に、およそ1500人もの日本人が、祖国の地を踏むことのないまま亡くなったのである。なんと筆舌に尽くしがたいことだろう。

 

アルマトゥイ中央墓地は市の中心からライムベク通りを西に4㎞ほど進んだ場所の北側にある。墓地全体は南北2㎞以上に及ぶとても広大なものだ。またリヴィウウクライナ)の墓地のように、観光客が訪れるような明るい雰囲気の場所ではない。人は少なく、どこか雰囲気はうら寂しい。

僕はこの目印のない墓地を、碁盤の目を潰すように歩き始めた。しかし、しばらく歩き始めて気付いたのだが、自分がどこを歩いているのかが全く把握できない。墓それぞれに特に目立った特徴もなく、ただひたすら同じ景色が続くので、歩けば歩くほど、新たな道を通っているのか二度目の道なのかが分からなくなってくるのだ。そして日本人墓地が墓地のどの位置にあって、どういう外観かという肝心な情報を収集し忘れていたので、やみくもに歩く羽目になった。

さて、こうして彷徨うこと1時間、北に通じるトンネルに出た。道路を挟んだ向こう側に北墓地があるのだ。ただしこのトンネルはウサギがやっと通れるくらいに狭く、そして汚く、また地上は7車線ある大通りを渡らないと向こう側に行けない。僕は地上を選択した。猛速度で車が行きかう大通りを目の当たりにして、足がすくんだが、脇目もふらずに猛ダッシュで走り抜けた。そして北墓地も念入りに碁盤の目を潰していった。だがこちらでも、日本人墓地を見つけることは出来なかった。再び南墓地に戻り、もう一度一からローラー作戦をやり直したが徒労に終わった。そうこうしているうちに野良犬に吠え立てられ、日が沈み辺りが暗くなりかけたところで、僕は退散することを決めた。こうして無念にも、墓参りを果たすことなくアルマトゥイを去ることになった。