こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア68 バザール

バザールは付設された食堂での食事も含めてチョルスーで殆ど事足りるが、他のバザールもそれぞれ特色があるので行ってみると楽しい。一番いい果物が売られているのはアライバザールだった。活気や飾り気はないが、とびきり新鮮でおいしいブドウが手に入ったのはここである。ただし値段も他のバザールと比べても飛び抜けて高く、桃一つが100円だった時はさすがに桁を間違えているのではないかと疑ったくらいだ。

それから、長期滞在するなら街外れにあるヤンギアバードバザールも一度は行っておきたい場所だ。日曜日だけ開かれる蚤の市は、30番バスに揺られてはるばる行っても後悔しないだろう。売っているのはガラクタばかりだが、カオスな雰囲気を味わうだけで楽しい。一番の見どころは観賞魚コーナーで、廃墟のような建物の中にブルーライトで照らされた水槽が並び、その中を熱帯魚や小サメが泳ぐさまは、この上なく幻想的でシュールなのだ。そして最後、街に帰る時に露店で売られているフェルガナ盆地のメロンを買って帰るのを忘れずに。チョルスーではなかなかお目にかかれないからだ。
なお、ナイフがなければここで手術用メスを買うことも出来なくはない。ただ地下鉄で警察に咎められた場合どう言い訳をしたらいいのか、僕にはいいアドバイスが思いつかない。


中央アジア67 中央アジアプロフセンター

中央アジアの料理は脂っこいとよく言われるが、陸路で移動しているうちに胃腸が順応してしまったのか、あまりそう感じることはなかった。いくつかタシュケントの代表的な店を紹介してみたい。

まず絶対に外すことができないのは、これは迷うことなく中央アジアプロフセンターである。好き嫌いに関わらず、ウズベキスタンを語る上で絶対に外せない店なのである。少なくともプロフという料理が、単なる焼き飯でないことを認識させてくれるのは間違いない。
プロフセンターに到着すると、まず入口に置かれた直径1メートル以上ある巨大釜に度肝を抜かれることが請け合いである。この巨大釜で羊の脂が熱せられ脂のプールが作られる。そこに大量の米と羊肉が投入されるのだ。作られている様子を見ると、炒めるというより脂の中を泳がせると言った方が正確かもしれない。こうしてコメは羊の肉や油の旨味と香りをたっぷり吸いこみ、ピンと粒の立った味わい高いプロフが出来上がるのだ。
ここでメニューの説明をすると、「C казы」が輪切りソーセージ入り、値段が5割高いのは肉が倍盛になる。好みに応じて卵(Яйцо、ヤイーチョ)とウズラ卵をトッピングしてもいい。あと飲み物として緑茶(Зеленый чай、ジェレニーチャイ)は忘れずに。さすがにお茶がないと完食は厳しいだろう。好き嫌いや賛否はあると思うが、こういう形のチャーハンがあるのだという強いインパクトを与えてくれることは約束する。

もしプロフセンターで物足りないようであれば、サーカス東側のナショナルフードにチャレンジしてみることをお勧めする。とにかくポーションの大きさが半端ないのだ。僕が頼んだ肉料理セットも優にトータル1kgを超えるボリュームで、食べた日は体中が火照って眠れなかった。肉に飢えている旅行者も絶対に満足するだろう。

胃腸を休めたい時は、内務省近くの韓国館によく行っていた。ここの冷麺が衝撃的なほどに美味で、ある時は1杯500円と値が張るにも関わらず、我慢できずにおかわりしてしまったほどである。後で知ったのだが、この店は正統な平壌冷麺を出す店だったのだ。
平壌冷麺の特徴は次のようなものだと考えている。そば粉を原料とする麺、肉をふんだんに使ったスープ、赤キムチを使わない。韓国館の麺はそばとして見ても質がかなり高かったと思う。また、スープも絶品で、おかわりした時は2杯ともスープを全て飲み干したほどだった。日本に戻ってきてから、同じようなものを探し求めたがなかなか見つからなかった。タシュケントでむしろはっきりと記憶に残っているのはこの冷麺かもしれない。
ただ、ウズベキスタン北朝鮮と友好関係にあり、直行便が飛んでいたからこそこの味が出せたのかもしれない。今となっては、そば粉やキジ肉を手に入れることはおよそ不可能と思われる。

他にも、アンディジャンプロフが美味しい食堂とか、パンが美味しいカフェなど色々あるが、僕は概してタシュケントのバラエティ豊かな外食にはとても満足していたのである。

中央アジア66 タシュケントに戻って

タシュケントに戻ってから、しばらくはアルハシラットという旧ソ連式ホテルに泊まっていた。1階のカフェはこれぞプロレタリアート食堂と呼ぶにふさわしく、暗い雰囲気の店内といい、笑顔が完全に消失した女性店員がタバコをふかしながら接客する様といい、社会主義が幸福をもたらさないことをしみじみと考えさせられる。資本主義の権化であるマクドナルドで1年働けば、0円スマイルでも身に付くものだろうか。
しかしここの汁ありラグマンは、味付けバランスが良くて侮れない。値段もラグマンが2.5kソム(=80円)、目玉焼きやウインナーが一つ15円程度と格安である。概してソ連時代のホテルに併設されたカフェに大きな外れは無いと僕は結論付けた。ただホテルのおばさんが強欲で、気分が落ち着かないため数日で出ることにした。


オイベク駅のgrand mir hotelから南西に500mほど行ったところに、中級ホテルが並ぶ路地があり、その中で宿の比較検討をした。
オルズ:70kソム、狭い、冷蔵庫付き、大通りに一番近い
サンブー:78kソム、広くてきれい、ツイン
ロウシャン:80kソム、部屋はツインでまずまずだが冷蔵庫がない。
値段と立地と冷蔵庫を重視して、僕は一番安いオルズにした。それでも2,300円ほどする。タシケント中央アジアの中で突出してホテル代が高い。
ウズベキスタンで自由な宿泊を妨げるもう一つの要因がレギ(レギストラーツィヤ)だ。ウズベクでは寝泊りした全ての都市について、宿泊証明が義務付けられている。かなり厳格な運用がなされていて、宿に泊まろうとするとウズベキスタンに入国後すべての日についてのレギを提示するよう求められる。おそらく、空白があった場合、のちのち自身の宿がレギを発行せずに客を泊めていたと疑われることを避けるためなのだろう。おざなりな確認ではなく、パスポートの入国記録で入国日を調べ、夜行列車を利用したことによる1日の空白が指摘されるほどの厳しさだった。今どれくらい緩和されているかは分からない。

中央アジア65 サマルカンド

タシュケントの次はサマルカンドということになるのだが、面倒なのでサマルカンド、ブハラ、ヒバまとめて書くことにする。
一言で言うなら、ツーリスティックなサマルカンド鄙びたヒバ、足して2で割ったようなブハラだ。
もう少し詳しく書いてみる。
サマルカンドは、ウズベキスタン、というか中央アジアにおけるツーリストセンターのようなところで、だいたいの旅行者がここに集まると考えていいだろう。メコンでいうとアンコールワットを擁するシェムリアップのような場所だ。もし学生さんが中央アジアを旅行するのであれば、何も考えずにとりあえずサマルカンドに行けばいい。逆に他にどこに行こうかで悩むべきでない。
これはメコンにも言えることだが、若い学生が一人でベトナムを縦断したり、タイでトレッキングすることに僕は正直あまり意味を見出さない。それなら遺跡の絶対的な価値がありかつ仲間が見つかるシェムリアップですごす方が有意義だし、純粋に楽しめると思う。だからウズベキスタンについては、サマルカンドに行くという以上のことを決めずにサマルカンドに来るのが良い。

とは言え、サマルカンドにやってくれば「次にどこに行くか?」という話が必ず出るだろう。時間と体力と好み次第だが、個人的には敢えて西方のヒバをお勧めする。ここはツーリスティックなサマルカンドとまた異なる雰囲気を味わうことができる。小さな町ではあるが街全体がよく保存されているし、城壁や塔に「正当に」登って眺めることができるのもヒバだけの特権だ。夕刻、日が沈む直前の未完のミナレット得も言われぬ美しさは忘れがたい。
料理についてもサマルカンドとはまたちょっと違う。特にこの辺りでしか見ない小さなキュウリは旨かった。バザールで買ったのがあまりに美味しくて、タシュケントに戻った後タシュケント中のバザールを探したが、遂に見つからなかった。
ブハラももちろん魅力があるし、行って後悔する場所では決してない。だからその時の気分で行先を決めることに何の問題もない。

さてサマルカンドに話を戻す。シャーヒジンダ廟では、修復の是非について考えさせられた。唯一修復されていないシャーディ・ムルク・アカ廟とその他を見比べると楽しみ方が一つ増えると思う。

 

サマルカンド



 

ブハラ↓



 

ヒバ↓





中央アジア64 タシュケント

2011年8月17日

タシュケントはとても大きな街で、徒歩で回るのは難しい。そこで交通機関として活躍するのが地下鉄か「タクシー」だ。ただ、どちらも慣れとコツが必要だ。
まず地下鉄については、厳しいセキュリティーがネックになる。駅の入り口には警官が立ちはだかっていて、カバンを持って入ろうとする乗客は全員荷物検査を受けることになる。加えて「ビー オトクーダ(どこから?)」と聞かれ、パスポートもチェックされる。毎回これをやられるとだんだん面倒になってきて、地下鉄に乗るのがおっくうに感じるようになった。
しかしその煩わしさを上回る価値が駅構内にはある。ソ連時代の核シェルターとして整備された駅の内部は、過剰とも言えるくらいの装飾が施されているのだ。絶対見落とせない代表的なものを挙げると、前衛アートのようなbodomzor駅とalisher navoi駅の繰り返しドームになるだろう。僕が個人的に好きだったのは、一面の青い壁に宇宙飛行士が描かれたKosmonavtlar駅の雰囲気だった。当時は駅の写真を撮影することが禁止されていたため、写真には残っていないがわざわざ駅を見るためだけに地下鉄に乗っていたことを記憶している。

一方の「タクシー」は、ちょいとテクニックがいる。タシュケントでのタクシーとは白タクなのだ。タクシーと掲げた車は見かけなかったし、逆にタシュケントを走るすべての車が潜在的にタクシーであるとも言える。
利用の仕方を説明しよう。タクシーに乗りたいと思ったら、通り沿いに立って手を横に出す。すると、15秒以内に必ず止まる車が現れる。そのドライバーに行先と値段を告げ、窓越しに交渉するのだ。ドライバーが合意すればそのまま乗り込み、折り合わなければドライバーはそのまま行ってしまう。この交渉にかかる時間はほんの数秒なので、仮に数台に断られたとしても数分以内に車を捕まえることができる。
ちょっと遠い目的地だとドライバーと行先が合わないことが多くなるので、僕がよく使っていたのは次のようなやり方だ。例えば2km直進、左折して1kmの場所に行く場合、まず2km先まで行ってくれる車を捕まえ、そこでまた車を探すのだ。こうするとドライバーもあまり考えることがなく、交渉も簡単に済む。乗り換えの手間と運賃を2回払うデメリットはあるが、だいたい安いお金で乗せてくれるので値段のことをあまり気にしたことはなかった。

闇両替は、チョルスーバザール周辺にたくさんたむろしていた。場所によって微妙にレートが違うのが興味深いところだった。一番良かったのは金曜モスク前で244kソム、逆に良くなかったのがメトロ出口付近で230-240だった。タシュケントの街中で札束を数えるのはNGなので両替商を信じるしかないが、それを見越してちょろまかす連中も少なくない。こうしたイカサマが一度もなかったのも金曜モスク前だった。だから金曜モスク前で必ず両替するようになった。僕はここに商売の基本を見たような気がした。ちなみにコーカンドでは100ドル220kソムだったことを考えると、さすが首都タシュケントのレートは格段に良い。

中央アジア63 コーカンドからタシュケントへ

2011年8月16日

今日は首都タシュケントへ向かう。今は鉄道が開通しているそうだが、2011年当時は公共交通機関がなかったため、乗り合いタクシーが唯一の手段だった。言い値が50ドルとふっかけられたのでシェアするための同乗者が現れるのを待っていると、颯爽とビジネスマン風の男性が現れ僕と彼の二人で出発することになった。僕が払ったのは20kソム=9ドルだから、彼が残り4人分を払ってくれたのだと思う。

フェルガナ盆地からタシュケントに向かう道は、タジキスタンのような「目を見張る」景色ではないが、乾いた山の中を縫うように走る気持ちのいいドライブウェイだ。ただ急に大渋滞が発生して車が進まなくなってしまった。追い越し車線に出て渋滞を抜けたのだが、視界に入って来たのは数十台の戦車の車列が峠をゆっくり登っている姿だった。フェルガナ盆地の人々はこの光景を見て日常を過ごしているのかと考えると、少し背筋が寒くなるものがあった。


タシュケントに行くまでの間に検問が2か所あり、うち2か所目でレジスターを行う必要がある。まるで出入国検査みたいだ。そしてこの「出入国検査」を終え、トンネルを抜けるとフェルガナ盆地を脱出する。ここでちょっとしたトラブルが起こった。後部座席からこのトンネルを撮影しようと僕がカメラを構えた瞬間、ドライバーとビジネスマンが同時にこちらを振り返り、間髪入れずにカメラをはたき落としたのだ。それが本当に一瞬の出来事で、時間にするとカメラを構えてから1秒にも満たないくらいだったので、何が起こったのか僕には理解できなかった。しばらくしてから、トンネルを撮影するだけでテロリストと見なされ、この同乗者たちも協力者として逮捕されるおそれがあるのだと分かった。戦車の件と合わせて、この地域の住民が日々強いられる大きな緊張感を痛感させられた。

タシュケントには13時に到着した。トルキスタンというホテルに泊まった。安宿だったはずなのだが、大幅に改修されて中級ホテルに生まれ変わっていた。値段も一番安い部屋で50ドルと高かった。ただこれは名目上の値段で実質的にはもう少し安くなる。からくりを説明すると、中級以上のホテルではウズベクソム払いにする場合に公定レートが適用されるからだ。そこから更に値段交渉をして70kソム、つまり約30ドルまで下がった。4割引である。中級ホテル以上ではこの技が使えるので、やってみる価値はある。


さてピカピカのロビーと廊下を見ると高級ホテルと見まがうかのような立派さで、部屋も真新しい家具とフローリングで固められている。ただトイレだけが耳無芳一のように忘れられ、リノベーションされずに残っていた。長年の経過で黒ずんだ和式の便器、変色した床から滲みだす何とも言えない臭いが、かつてのホテルトルキスタンが古く朽ちた宿であったことを語っていた。1階だからなのか、やたらとハエが多い。しかも俊敏で簡単には叩き落とせないし、日本のハエより硬いのか、丸めた包装紙がヒットしたくらいではビクともしない。途中からは諦めて共生を選んだ。