こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

ベトナム縦断15 ラオバオ ビザラン

2011年3月1日

5時に目覚めてシャワーを浴びた。朝は20度まで下がり、バルコニーに出ると冷たい露が体に付く。ただ今日は霧が少ない。インペリアルホテルがはっきりと見える。

バスのピックアップは6時30分だった。そこから近くのレストランに移動し朝食を取る。予想した通り日帰り観光ツアーバスへの相乗りだった。だから食事込みなのである。それなら5ドルは安いと思う。
フエは7時に出発した。あたりは緑の水田が拡がる。ベトナムの郊外はどこを見ても水田だ。コメの国だと実感する。ちなみにコメの値段は5㎏が60kD(240円)と安かった。日本のコストコで売っているかな?

8時半にドンハーに着き、ツアーから離脱しバスを降りた。

ドンハーは国道1A号線の宿場として機能するためだけにあるような小さな町である。町は中央を貫く国道1A号線で東西に分けられ、沿線に安っぽいホテルが並ぶ。ダンプカーが遠慮なしに粉塵を巻き上げ、どこか雰囲気は殺伐としている。町のどこにいても空気が埃っぽく排気ガス臭い。だから住民はみなマスクをしている。

宿を見つけて、荷物を置いてラオバオ国境まで往復し、明日はまた移動だ。だから寝られる場所が確保できれば十分だ。

ホテル1軒目。160kD窓なし。あまりに汚く却下。
2軒目メロディーホテル、220kD。くすんだセルリアンブルーの外観と若干不潔な室内だが1軒目よりはずっとマシだ。ドンハーは他も代わり映えしなさそうなので早々とここに決めた。ただ、部屋に入るや否やいきなりゴキブリ2匹に出くわした時はげんなりした。

さて部屋を出て、鉄道駅とバス停の場所確認をする。鉄道駅は町の中心から1㎞南に進んで「261」という宿を右折したところにある。明日の朝6時36分発のチケットを確保した。バス停はそこから更に400m南だ。
バスの値段表はなくラオバオまでの言い値は60kD。フエ-ドンハーが35kD、フエ-ダナンが42kDなので、相場とほぼ一致する。パンを2本買って10時半発のバスに乗り込んだ。ベトナム恒例の巨大パンだが、口に放り込むとすぐに溶けて無くなるので意外と食べ出はない。
ラオバオまではちょっとした山道を2時間弱かけて正午過ぎに到着した。下車した地点から北へ向かうと2本の道が合流するので、そこから更に1㎞上った峠が国境だ。

平らな峠の手前にベトナムのイミグレ、200メートル向こうにラオスのイミグレが見える。
ところで出国税みたいなものが必要なようでたぶん10kDだった。曖昧すぎる表現で恐縮だが要はこうだ。みんながある窓口に並んでいたから僕も一緒に並んだ。5kDを差し出すと足りないと言われて10kDだとOKだった。だから正確な値段はいくらか分からない。それにそもそも外国人が払う必要があるのかも分からない。
ベトナム側ゲートからラオス側ゲートの間のいわゆるノーマンズランド(緩衝地帯)にマスクをしたおばさんが何人もたむろしている。これは両替を持ちかけてくる闇両替おばさんだ。ラオスに入国するつもりがないのですべて断ったのだが、両替おばさんがみんな帽子を被って大きなマスクをしているのが不思議だった。顔バレ防止のため?この緩衝地帯にどうやって潜りこんだのだろう?

ラオバオの緩衝地帯はドンハーとは打って変わって空気のきれいなところだ。国境はさほど忙しくなく通行する人もまばらで、高原特有のゆったりした雰囲気が漂う。そよ風は涼しい。蝶がひらひら舞い、ヤギが国境を自由に行き来しながら草を食んでいる。埃っぽいドンハーに帰らずこのままのんびり過ごそうかなという気分になってきた。

さてラオス入国が面倒だったので、そのまま踵を返してベトナムに入国しようとしたが拒絶された。それが許されるのは闇両替おばさんだけらしい。ラオスの入国および出国手続きを踏んでから、ベトナムに再入国した。手続きはそれぞれ10分程度で済んだ。
ベトナム側ゲートを出るとすぐそばに大きなショッピングモールがあり、洋酒や炊飯器が売られている。隣接する大型レストランでランチを取ることにした。国境価格かと思いきや、フォー20kD(80円)、ビール9kD(36円)と町中と変わらない値段だった。味もそこそこでその他メニューも豊富なので、ベトナム入国後の腹ごしらえとして推奨できる。

さて帰路はケサンに寄って帰ることにした。ケサンまでは18㎞。ドンハー-ラオバオが85kmで60kdなので、距離計算して20kDくらいかなと考えたが、運転手が強硬に50kDを主張してくる。ここはやり過ごし30分待って次のバスに25kDで乗った。公共バス一つ乗るのにタフな値段交渉が要求されるのがベトナムの少し面倒なところだ。そしてここでの主な乗客は人でなくヤギである。僕一人とメェメェ泣き叫ぶヤギ5匹を乗せてベトナム側へ下って行った。ヤギの鳴き声は大きい。これがドンハーまで続くとなると難聴になりそうだ。
ケサン基地跡はケサンの町から北西に2.5kmのところにある。かつて米軍特殊部隊の最前線基地が築かれたこの地は象徴的な場所だ。1968年、北ベトナム軍がケサン基地を包囲。この動きを察知した米軍は、「ディエンビエンフーの戦い」の再現を恐れ、ケサンを死守するためこの狭い地域に11万トンの爆弾を投下、原爆投下まで検討したのだった。しかし多数の犠牲者を出して米軍の勝利に終わったこの戦闘は、まさかのケサン撤退という形で幕を閉じた。ベトナムは本当にしたたかで強いと思う。フランスとアメリカの侵入を追い出し、中国軍を2週間で撃破した。

ここには当時の滑走路が草1本生えずにはっきりと残っている。風の音以外に何も聞こえない静かで平和な場所だった。血みどろの戦いが繰り広げられたことが想像できない。国破れて山河在り。

ケサンの町まで戻り、丁度やってきたミニバスを止めた。12人乗りのバンに19人がすし詰め状態で乗っていた。そこへ無理やり押し込むように乗り込んだ。ドンハー-ラオバオの60kDよりは安くしてもらおうと50kDと言ったら運転手は納得していない顔をした。そこで「ドンハー-ラオバオ60、ラオバオ-ケサン20、ケサン-ドンハー50」と言ったら、おばさん達がどっと笑ってそうだ50だ50だと口々にして商談がまとまった。
山を下りてドンハーの町に入ると、ミニバンは乗客を家の前で一人ずつ降ろしていく。おばさんをよく見ると緩衝地帯にいた闇両替おばさんだった。彼女たちはドンハー市民だったので、当たり前のように四六時中マスクをしていたのだ。