こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

ベトナム縦断13 フエ王宮、帝廟

2011年2月27日

6時起床
町は濃霧で包まれていた。視界が効くのはわずか50メートルほどだろうか。しかしフエの朝は早い。香江に架かる橋に物陰が見える。近づいて目を凝らして見ると、橋を埋め尽くすようにバイクが蠢いている。信号が青に変わると一斉に橋からバイクがどっと流れ出してきた。この視界の悪さで衝突せずにバイクを運転できる運動神経には驚嘆する。
橋を北に渡って都城地区へ来た。新市街より人は少なく緑が多い。霧のかかったこのエリアは美しい。朝から散歩している人も多い。
川を挟んで新市街の反対側に王宮はある。フエは19世紀にグエン朝の都が置かれていた場所である。考えてみるとこの南北に細長いベトナムで、北に首都ハノイがあったり、南に最大の都市サイゴンがあったりするのはどうも不便だ。いっそへそであるフエに首都を移転してしまえば分散されてバランスが取れそうなのだが。
王宮正門に6時45分に着いた。門の前の広場ではTシャツを脱いだ子供たちがサッカーをしていた。みんな朝から元気だな。7時の開門を待っていると開門準備を手伝わされそうになった。いや、早く入場したかったので手伝った。

王宮の敷地はかなりの拡がりがあり、一部の修復された建物を除くとフランス軍の略奪やベトナム戦争による破壊のため、北の方は荒廃している。逆にどれがオリジナルなのか分からず、ただ雰囲気を味わっていた。霧の中、ひとり広大な敷地に佇むと「国破れて山河在り」の言葉が思い出された。さて7時半頃になるとすうっと霧が消失した。僕も人が来る前に王宮を出た。

ホテルへ戻り朝食を取り、1ドルで自転車を借りて次はグエン朝の帝廟を巡る。
自転車は車道を走る。トラックやバイクが押し寄せるロータリーにママチャリで突っ込んで行くときは、ジェットコースターに乗るような快感だった。トゥドゥック帝廟、ミンマン帝廟、カイディン帝廟の順に回った。ここは体力と相談だ。帝廟はどれも55kDだった。
最初の廟であるトゥドゥック帝は在任期間が長く、贅沢な生活を送ったという。50人の料理人が作った50皿を50人に給仕させていたと伝えられている。一方で若い時に天然痘にかかったため病弱で、控え目な性格だったという記述もある。確かに池や木との調和を重視した廟に華美さはなくむしろ庭園といった趣だ。また彼の功績を記す石碑には自らの過ちの反省の弁が刻まれているという。ただこの自省の石板が20トンもする巨石で、それを500km離れた場所から4年かけて運ばせたという話を聞くと、何かやるせないものを感じてしまう。無駄な贅沢に過剰に資源を投じることで心を満たそうとする人は、常に欠乏感と劣等感にさいなまされていることが多いからだ。
続くドンカイン帝廟は修復中。
ミンマン帝廟へはなかなかたどり着かない。地図で見るとトゥドゥック帝廟から川沿いを真っ直ぐ南下すると着きそうだが、実際は全然違う。そもそも川沿いの道ではないし目印もない。ママチャリにはキツめのアップダウンあり、休息のための日陰はない。村の中の入り組んだ小径や、トラックが白煙を上げて突っ込んでくるデコボコ道をひたすら走る羽目になる。やっと見えてきた香江支流を橋で渡り、左折して更に2?のところだ。結構時間がかかった。地球の歩き方の地図を参考にレンタサイクルで回る人は少数派だろうけど要注意。「迷い方」認定していいと思いますよ!
肝心のミンマン帝廟は澄んだ池と松に囲まれた美しい廟だ。縦長なので最後の建物を忘れないように。喉がカラカラなので、水とハーフカットパイナップル(30kd)で水分補給
カイディン廟は橋をまた戻って真っ直ぐ。これは迷わない。ここは少し異色で、内部がおどろおどろしいマーブルで派手な装飾を施されている。
僕の考えでは、無理して全部を回る必要はなさそうだ。ガイドブックによっては「各帝廟が入場料に見合った内容かどうかは意見が分かれるところだ」と書いてあるものもある。ガイドブックとしてはギリギリの表現だが、真意を汲み取りたい。

1時間ほどで宿へ戻るがかなりクタクタ、階段を上るのもしんどい。水を2L飲んでも汗が出ない。シャワーを浴び、ホテルでフォーとビールで遅い目のランチを済ませたあと一休みした。

夕食は宿のすぐ近くのインドレストランでチキンカレーとパパイヤジュース。ナンが美味しかったのでお代わりした。117kDと高かったが大満足だ。

さて宿の女の子に呼び止められる。ベトナムビザの発給は新規発給の場合、1週間かかるとのこと。さすがに1週間フエでビザ待ちをする気にはなれない。作戦を変更した方が良さそうだ。さてどうする?