こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

ベトナム縦断8 ハノイへ

ハロン市はオフシーズンなのか人気がなくなったのか観光客が少ない。醜悪なミニホテルが並ぶバイチャイのヴォンダオ通りだが、ホテルのシャッターが閉まって人は殆どみかけない。
さてムイゴックを探してバイチャイじゅうを歩き回っていると、まとわりつくような視線を感じた。振り返ると赤いヘルメットをかぶったバイクタクシーのおっちゃんが僕の後をつけてのろのろと徐行運転をしていた。彼は観光客の少ないシーズンの貴重なカモを見つけたのだ。
踵を返して反対方向に引き返すと、そのおじさんも方向転換してじっと後をつけてくる。わざと路地に入って視界から消えようとするが、狭い町なのですぐに見つかってしまい再び尾行が始まる。どうやって撒くべきか?
僕は急に走り出し、路地をくねくね曲がり海側の通りに出た。そして周囲を観察し、おっちゃんがいないことを確認し、視界から消えた一瞬の隙を狙って大きな食堂に逃げ込んだ。これでおっちゃんからすると、僕が消えたと混乱することだろう。
フォーをすすりながら、ムイゴックがなくなったこと、どうやってハノイまで行くかなどを考えていた。バスターミナルは7km西に移動したそうだから、そこまではバイタクで行かねばならない。しかしあのおじさんは利用したくない。別のバイタクの運転手を手早く見つけて、ばれないように走り去ってしまうしかない。
もし食堂のあたりにバイタクがたむろしていれば一番いいのだが、と考え外を眺めた時、僕はぎょっとした。ガラスの向こうで赤いヘルメットのおっちゃんがバイクを停めて、こちらにじっと視線を定めていたのだ。
さすがに僕は観念した。もう逃げる方法が思いつかなかったのだ。彼は僕の敗北を読み取ったのだろう。食堂から出ると自然に後部座席を空けて乗るように促した。バスターミナルまで40kドン。僕の感覚では30kドンだったが、1時間以上にわたる攻防戦代が上乗せされるのは仕方ないかと思った。バイタクはベトナム語でXe om(セーオム)と呼ぶ。Xeは乗り物、omは抱くの意味だ。しかしこのおっちゃんに抱きつくのは生理的抵抗感が強かったので、後ろに手を置いてバランスを取った。
しかし160円のためにここまで粘れるってすごいな。単なるお金目的の域を超えた何かを感じずにはおれないよ。


バスターミナルからはハノイ行きのバスに乗り込んだ。100kドン(400円)だったが、出発しかけのバスで運転手から直接購入したので、切符売り場で買えば本当はもっと安かったはず。行く先々でお金を剥がれていく感覚に陥りそうだ。ただ次まで待てなかったのだ。
バスは13時半発で、3時間程度の予定だ。地図から推測して高速道路を通るのかと思いきや、北部の田園地帯を何度も停車しながらのろのろと走っていた。
ベトナムに来てからこういう大型バスは初めてだが、ガンガンに効いたクーラーと大音量の音楽が体にこたえる。早くハノイに着いてほしかったが、田園地帯で渋滞が発生して前に進まない。冷えと疲労と酔いから来るめまいに襲われ座っていられなくなり、座席二つを使って横になりうずくまっていた。一人旅はこういう時に誰も助けてくれる人がいないことを覚悟する必要がある。
予定時間を1時間半オーバーして18時に到着した。
ハノイはハイフォンと比べ物にならないくらいバイクも車も圧倒的に多く騒がしい。バスターミナルからハノイ旧市街までセーオム(30kドン=120円)で行くしかないが、まともそうな運転手は出払ってしまい、残った一人は何とも心許なかった。
深くしわが刻まれ真っ黒に焼けた顔、泥と土まみれのジャンパー。ハノイに出てきてまだ日が浅いのだろうか?そしてどこで拾ってきたのだろうというオンボロのバイクとヘルメット。大都会ハノイで本当に運転できるの?と聞きたくなった。が英語はまったく通じない。不安ではらはらしながら、バイクに跨った。
予想にたがわず彼の運転は未熟だった。まず真っ直ぐ進めない。そしてバックミラーをみる余裕がない。よろめきそうになりながらバイクの海に入っていくときの恐怖といったら。ほかのバイクや車に衝突しそうになりかけ、何度もクラクションを鳴らされ、その度に僕は悲鳴を上げた。

旧市街を憔悴しきってふらふら歩いていると客引きに声をかけられた。地階の窓がない部屋。狭いがリノベーションされたばかりで清潔で新しい。15ドルはちょっと高いと思ったが、体を休めることを優先した。
知らずに眠りに落ちて、目覚めると21時だった。食事は摂る気が起こらず、スーパーで水、牛乳、ミロを買って部屋で飲んだ。ミロを飲みだすと止まらず一気に6パック空けた。