こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

ベトナム縦断7 ハロン湾 2011年2月22日

2011年2月22日 

カットバ島は朝から小雨がしとしと降って僕の気分は重かった。濡れた路面からアスファルトの匂いが立ちのぼり、岩山には濃いもやがかかっていた。
ハロンシティへの船は目の前の港でなく島の反対側から出航するらしく、まずは車で港まで移動しなくてはならない。その車をホテルのロビーで待つも、約束の8時を過ぎたが一向に現れない。ハムバケットサンド25kD(=100円)をほおばりながら外を眺めていた。ベトナムはフランスの植民地だった影響でバケットをよく見かけるが、不思議なことにお化けみたいに大きくて、口に入れると溶けてしぼんでしまう。いつ誰がそんなアレンジを加えたのだろう?

やってきたのは大型の観光バスで、島の北まで移動すると更に人を集めて海賊船に詰め込んだ。周りは全員フランス人ツアーで、その中に一人放り込まれポツネンとしてしまった。どこに座ればいいのか、ともかく肩身が狭い。出航は10時半。そう分かっていれば早起きしないで済んだのに。

さて海の桂林とも称されるハロン湾は、奇岩の島々がどこまでも続き、幻想的で壮観だ。とは言うものの実は景色を眺めていたのは短時間でしかない。デッキに出てみたが、風が強く体がみるみるうちに冷えて5分といられなかったからだ。ビール片手に絶景鑑賞をするのが推奨されているらしいが、この寒風の中で冷たいビールとは酔狂以外の何物でもないと思った。これは僕だけではなかった。最後の方はみんなグッタリして眺望のない船室に戻っていたし、なかにはデッキに一度も出ずに閉じこもっていた人がいたくらいだった。ハロンシティが見えてきたときは本当に安堵した。とにかくこの年のベトナムの冬は本当に寒かったのだ。

11時50分にハロンシティに到着した。ハロンシティは旅行者にとってはただの通過点だが、僕にはここですべきことがあった。それはフェリー会社ムイゴックの確認だ。
モンカイ、ハイフォンで僕はハロン行きのフェリーを探したがとうとう見つからなかった。ムイゴックが廃業したのか、航路が無くなったのか、出発する港が変更になったのか、あるいはそれ以外の事情が発生したのか、それを確認しなければならない。起点がダメなら終点のハロンシティを当たれば何か分かるだろうと考えたのだ。
これから書く話は、よほど辛抱強い人以外は読み飛ばしてください。

ハロンシティは海峡を隔てて西側のバイチャイ、東側のホンガイに分かれる。西側がホテルやレストランを擁する新市街、東のホンガイはセメント工場や漁港のある旧市街だ。国道18号線は海峡で分断され、両岸を24時間営業の連絡船が結んでいた。ここで大きな出来事があった。2006年にバイチャイとホンガイを繋ぐホンガイ大橋が開通したのだ。それとともに連絡船はその務めを終えた。謎を解くカギはこのホンガイ大橋の開通にあった。

まず以下、僕の持っているガイドブックの橋が完成する以前の情報である。
1.カットバからの船はホンガイに到着する。
2.フェリーの船着き場、バスターミナルは連絡船乗り場すぐ近くにある。
3.ハイフォンとハロンシティを結ぶフェリーは、ホンガイのみ残っている。バイチャイ-ハイフォンはバスの方が早くて安いので廃止された。
2については考えてみれば当然で、連絡船の乗降場から離れていては乗り換えが不便である。

かつてモンカイからハイフォンへ南下する場合、東岸ホンガイまでバスで移動、連絡船で西岸バイチャイへ渡りそこからバスを乗り換えハイフォンへ向かうか、あるいはホンガイまでフェリーで移動し、フェリーを乗り換えてハイフォンへ向かうルートがあった。ただ、モンカイ‐ホンガイの道路状況が飛躍的に改善し、バスでの所要時間が5時間から3時間に短縮されると、モンカイ-ハロンのフェリーは廃止された。これが疑問の一つに対する答えである。そして橋の開通により、モンカイからハイフォンへ直通のバスが開始となった。そのバスに僕は乗ってきた。

またかろうじて残っていたハイフォンからホンガイへのフェリーも廃止された。橋のない時代であれば、ホンガイに住む人やモンカイへ向かう人にとって、A.ハイフォンからバスでバイチャイ→連絡船でホンガイというルートより、B.ハイフォン→ホンガイへ直接向かうフェリーの方が、わずかにアドバンテージがあるかもしれない。しかし橋が開通すると直接バスでホンガイへ向かうことが可能になり、値段と時間で劣るフェリーはお役御免となった。これがハイフォン-ハロンのフェリー廃止の理由である。

さて実際のところ、カットバ島からのフェリーはホンガイではなくバイチャイに着いた。そしてバイチャイを探し回ったが、ついぞムイゴックのオフィスは見つからなかった。どうやら廃業したようだった。そしてバイチャイバスターミナルは町の中心から離れた西の方へと移動した。
両岸を結ぶ橋が開通すると、フェリーにせよバスターミナルにせよ、連絡船乗り場近くに止まる必要性はなくなる。であれば、停泊しやすく利便性の高いところに船は止まるようになるし、バスターミナルも広い土地が確保できる町の西外れに移動した。

こうしてホンガイ橋の開通は町と交通を大きく変えたのだった。僕(と連絡船、フェリー会社)は振り回されたが、利便性が飛躍的に向上したことは疑う余地がない。
ところで、調べてみるとホンガイ橋じゃなくてバイチャイ橋だった。そりゃそうか。


追記:実はこの5日前にハロン湾での沈没事故があり、12人の犠牲者の中に一人の日本人が含まれていたということを後で知った。彼らが参加したのは船上で一泊するツアーで、深夜に船体に穴が開いてあっという間に沈没したらしい。
僕が参加した数時間のクルーズですら寒くてつらかった。それが船上泊となれば、数倍の時間を耐えねばならず、乗り込んですぐに選択を後悔したに違いない。冷たくて孤独なディナーが終わって、ようやく横になり休息しているところに水が入り込んできた。訳も分からずどうすることもできず、寒さと息苦しさにもがいて海の中に飲み込まれていった。
想像すると胸が痛んだ。
将来ある若者がこのような形で亡くなられたことは無念でなりません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。