こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

カトマンズ

必要以上に朝早く目覚めた僕は、行きつけのベーカリー「プンパーニッケル」へ向かった。ここでの僕の定番はチーズクロワッサンとアーモンドクレセントだ。パンを平らげたあと、ゆっくりカプチーノを飲みながら物思いに耽る。この朝の時間が僕にとってなによりの贅沢である。

ネパールの首都であるカトマンズは、多くの人が思い浮かべるシャングリラではない。このことは、カトマンズを訪れたことのある人はみな同意するところである。
盆地を覆う排気ガス、うっすら濁った空、ごちゃごちゃした路地裏。そこには旅行者が期待する桃源郷の要素はない。少なくとも一度目の訪問時、僕はおおいに失望した。
町の中心とでもいうべきタメル地区は混沌を凝縮したような所で、旅行会社とホテルが所狭しと立ち並ぶ。旅行者がこの半径500mの檻から出ようとしないのは不思議であるが、そういう不精が許される雰囲気がカトマンズにはある。

さてカトマンズにおける日本食のレベルの高さは旅行者にはよく知られたことで、僕も例外にもれず頻繁に足を運んだ。和食レストランはいくつかあるが、なかでもお気に入りだったのは「ふる里」だ。ここの良いところは、定番料理だけでなく、インゲンのゴマよごし・カブの漬物、ニンジンの浅漬けといった家庭料理が味わえる点だ。もっとも、日本で食べても美味しいといえるレベルかどうかはもはや自分には分からない。
もう少しガッツリと食べたい時には「ロータス」がおすすめだ。こう表現するのは少し倒錯しているようだが、ここで提供されるのは「本格的な」日本カレーなのである。至るところで安価なカレーが食べられる国でわざわざカツカレーを求めるのは滑稽に思われるかもしれない。しかし、そういう「旅でのこだわり」はとうの昔にどこかへ置いてきた。
少しばかり町の中心から離れるが、ネパール産ソバが味わえる「ヒマラヤそば」も足を運ぶ価値があるだろう。ここでは戸隠で修行した店主が打つ本格的ソバが味わえる。テラスでサンセットを眺めながらソバをすすれば、タメルの喧騒を忘れられること請け合いだ。贅沢を言うと、そば粉の割合を70%でなく二八にすればもっと美味しくなるのにと思ったのだが、余計なお世話である。

カトマンズの古本屋では購入価格の半額で本を売ることが出来るので、ここでたまった本を処分していく旅行者も多く、日本語本の品揃えは豊富だった。翔んでる警視シリーズ・鬼平犯科帳林真理子は、旅行者の愛読書御三家だ。日本食と同じで、分かりやすくて濃い目の味付けが好まれる点がミソなのかもしれない。

宿はタメル中を探し回ったが、最終的には登山家の山野井が常宿にしていたというリリーホテルに落ち着いた。北向き500ルピー(1ルピー≒1円)の部屋は狭かったが、南向き600ルピーの部屋は日当たり風通しともに良く、手頃な広さもあって僕は迷わず決めた。

ネパールでは人がとても穏やかだった。町を歩いていて強引な客引きに遭遇することは殆どない。気候もまた穏やかで、ここには厳しい夏も凍て付く冬も存在しない。これは隣国インド・チベットと対照的である。肩をいからせ厳しい顔つきでカトマンズに足を踏み入れた旅行者が、数日もすると頬を緩めるのも自然な成り行きだろう。
僕は全く、そう本当に全くカトマンズで観光をしていないのだが、それもこれもカトマンズの緩んだ空気のせいである、と言えば言い過ぎだろうか。

日本では恥ずかしくて読めない林真理子を読んで日が沈む。そして夕刻が訪れると、晩餐を生姜焼きにするかカツカレーにするかをゆっくり考える。夜は気分を変えて藤子不二雄Fの短編集を読みながら、時代が移っても変わらない人生の本質を考える。
そうした怠惰な時間を、何の後ろめたさも感じずに過ごすことが出来ることこそが、旅行者の特権ではなかろうか?

そんな日々にも別れを告げる日が来た。
今日はいつもよりも早めに朝食を切り上げ、急いで荷物をまとめタクシーに乗り込んだ。むかう先は、ネパール唯一の国際空港であるトリブバン空港だ。市街地から車で20分ほど。国際空港としては随分とこじんまりした印象を受ける。
インドに行く気になれなかった僕は、出国の手段として陸路ではなく空路を選んだ。行き先は、すぐ航空券が手に入る場所という条件で選んだ。主体性のない決め方だが、サイコロを振って決めるのが実は一番良いのではないかと思う。もともと旅行者は自由を好む人たちである。それが「次はどこに行くのか?」と常に追い立てられれば、呪縛から逃れたくなるのも無理からぬことである。

さて到着して早々、僕のフライトが遅延していることを知らされた。
これが以前であれば、冒険の一部のように動揺し苛立ちをぶつけていたかもしれない。しかし、いまや数時間というのは誤差範囲だ。わずかな時間を空港で過ごすか安宿で過ごすかの違いに意味を見出すことはない。ただ一点、あえて言うならば、座る場所が見つからないのが不服である。

そんなことを考えながら、1年前を振り返っていた。思い返せば、あの日のフライトも遅れていた。寒さと不安で震えていた自分を思い出す。
果たして自分は何か変わったのだろうか?

人は成長を信じたい生き物だ。旅に出るとき、きっと帰るときには今以上のものを持ち帰っているはずだ、という期待にあらがえる人は少ない。細かなエピソードにいちいち意味付けすることからもまた逃れがたい。なぜなら特別な体験は、自分を変える力があると思うだけ印象的なのである。
しかし大きくなった自分を無理やりに見つけようとするのは止そう。また旅に意義を見出す行為からも解放されようではないか。無為に耐えられないなら自由を放棄すればよいのだから。それが旅行者に課せられた試練だと僕は思っている。

そうこうしているうちに飛行機はやってきた。
スタッフは乗客をせかすように機内に詰め込み、全員が座るか座らないかのところで飛行機は動き出した。心の準備が出来る前に加速を始めたので僕はいささか慌てた。離陸の浮遊感は何度経験しても慣れることがない。気分が悪くならないよう目を閉じて呼吸を整えた。
体にかかる重力が落ち着いたところでゆっくりと僕は目を開けた。スモッグに包まれたカトマンズ盆地が眼下に見える。横に目をやるとヒマラヤの白い稜線が次第にくっきりと姿を現してきた。
妙な安堵に包まれた僕は、今度は眠気に襲われて再び目を閉じた。