こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

旅行記を書くということ

2011年の1年間私は旅に出た。
6年の月日を経て旅の記憶を文字に起こしてみようと思う。

さて旅行中に日記をつけるのは旅人の嗜みであるが、いざそれを公開するとなるといささか難しい。書けることと書けないことを分別して、あとから読んで恥ずかしくないよう感情を抑えて、自然な日本語で綴るというのはひと手間かかる。
すらすらと頭に浮かんだ言葉をタイピング出来る人もいれば、「朝起きた」より以降の文章が出て来ない人もいる。私は紛れもなく後者である。これが6年間かかった一つの理由でもある。

ここ数年で旅行のやり方は随分と変わった。ホテルや航空券はネット予約、お金の持って行き方と言えばカードでキャッシングというのが今や定番である。「お金の持って行き方」という言葉自体がすでに時代遅れの感がある。
実はこの旅で私はカードもパソコンもiPhoneも持参していない。しかし2011年においてはそう珍しいこと、ではなかったと思っている。
だから読んでいて奇異に感じることがあるかもしれない。まるで20年前のサスペンスドラマを観ているような、どうしてそこでツールを使わないかという違和感が。
でもアナログ世代の旅はそういうものだった、ということだ。

一方で、これ以上時間が経つと昔話化するのも事実で、違和感を通り越して物語になってしまう恐れもある。今ならぎりぎり許してもらえるだろうか?

1年間で訪れた国は10か国。200か国制覇しようとすると20年かかる計算だ。その頃には年金の支給開始時期が気になって旅行どころではないだろう。
しかし6年前の旅行記をガイドブックとして読む人はいないはずだし、ましてや旅の達人による説法でもない。旅は自由なものだし多様化している。自分はその中の一派に過ぎないと思っている。

とは言え従来は一定の傾向があったのも事実で、沢木耕太郎の「深夜特急」を読んで旅に出た世代、猿岩石のヒッチハイクに影響された世代が存在していた。それぞれを第一世代、第二世代と呼ぶことにする。
では第三世代はなんだろうか?
今はどうやって旅行するのが正解なのか分かりにくい時代だ。SNSが一つのキーワードであるが、共有と拡散は第一世代や第二世代と本質的に相容れないものがある。若者が旅に出なくなったとおじさん達が嘆くのはある意味自然なことで、大目に見てほしい。
だから「旅は何か?」という議論はさておいて、1年間自由に旅が出来たことを何かの縁として記録してみようと思う。