こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

2011年2月14日 広州国茂酒店 メコン編

現時時間の20時、広州に到着した。
1時間ほどで出国審査を済ませ到着ロビーに出た。

広州白雲空港は非常に大きく賑やかな空港だ。よく磨かれた白い床が光を反射して眩しい。21時にも関わらず人の往来が激しく、眠りを知らない空間が広がっていた。もうここは日本ではないと認識すると軽いめまいを覚えた。

まず旅の資金として2万円を10円→0.68元(1元→14.7円)のレートで両替し1360元を手にした。カウンターのおばさんに「レートが悪いけど、そんなにたくさん両替して大丈夫?」と聞かれたが、相場がよく分からない。
宿は空港内のカウンターで依頼することにした。「街の中心で安いホテル」という条件で依頼したところ、広州東駅のすぐ北側にある国茂酒店というホテルを紹介された。1泊228元は約3000円程度と安くはないが、これが広州でのホテル価格の最低限なのだろう。これより安い宿を自力で見つけるのは多分無理だ。
バウチャーをもらったが、これで本当に予約が取れているのか不安だった。そして何より、久しぶりに英語を話すのはとても緊張した。自分の英語が伝わっているかどうか自信がなくて、必要以上に大きな声でゆっくり単語を繋いで喋った。

ホテルまではタクシーが一番便利だが、知らない街でのタクシー利用は不安があるし、公共交通機関があればできるだけそれを使いたい。エアポートバスで町の中心まで出てそこから歩くことにした。幸い、駅までそう遠くない地点まで行くバスがあった。バスの運賃は20元。1時間ほど揺られて駅の南にある広場で下車した。ここから広州東駅まで約1.5km。1分100メートルのペースで歩けば15分の距離だ。一刻でも早く宿にたどり着きたくてとにかく早足で歩いた。
広州東駅へは迷わず着いた。この駅もまた巨大で人が多かった。広大な国土の様々な地域から往来がある中国では、鉄道駅は基本的に24時間営業である。
駅を北に越えればゴールなのだが、広い構内にファーストフードや売店が散在していてオリエンテーションが分かりにくい。ところがくまなく歩き回ってみた結果判明したのは単純な事実、すなわち線路が駅を分断していて抜け道はないということだった。もっとも、地下鉄が営業時間であれば地下鉄構内をくぐるという策もあったのだけども。
こうなればこの線路の向こう側に出る道をなんとかして探すしかない。
そして僕は駅の西へ歩を進めた。駅の周囲は暗くてなんとなく治安が悪そうだった。怖くなって一旦駅に引き返した。
しかし戻ってきたところで何が変わる訳でもない。覚悟を決めてもう一度西へ西へ進んだ。みんなが青白い顔をした僕をじろじろ見ている気がして惨めだった。
そこからどうやって北へ抜けたのかは覚えていない。トンネルから出てきた北側は10車線以上あるとても幅の広い道路だった。交通量が少なく南側と対照的に静かだった。ホテルまでできるだけ近道を行こうとするがとても複雑だった。北に大回りをして迷子になったり、最後はロータリーのような信号のないところを、何車線分も走って横切ったりしなければならなかった。今地図を見ると、どうしてこんな迂遠なルートを取ったのか謎である。

ホテルの到着時刻は23時。広州白雲空港に到着してから既に3時間が経過していた。
悪天候、出発便の遅延、見知らぬ土地での彷徨。初日からトラブル続きで、心が折れそうだった。
ホテルの外観はかなり老朽化していて、色褪せた赤い絨毯が敷かれた廊下は薄気味悪かったが、それらから推測されるより部屋は清潔で広かった。
1日の間にかいた嫌な汗をたっぷり吸ったTシャツを脱ぎ捨てて、熱めのシャワーで垢を落としてベッドに横になった。
ただ照明が絶対的に不足していて部屋が仄暗いこと、浴室がガラス張りであること、そして浴室カーテンに描かれた絵画が卑猥であることなどが、普通のホテルでないことを連想させて、なかなか緊張が解けなかった。