こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア73 国境を越えカシュガルへ

ユルトを出発し、九十九折の道を登ること30分ほどで標高2,800メートルの国境イルケシュタム峠に到着した。この国境の通過は普通でない幾つかの手順を踏む必要がある。
まず、国境手前からトラックがずらっと100台以上並んでいるので、車を降りて国境ゲートまで歩かなくてはならない。これが第1の関門だ。第2の関門である出国審査自体は中央アジア一簡単だから問題にならない。第3の関門は「緩衝地帯」だ。普通、出国審査と入国審査は同じ場所で行われるが、ここイルケシュタムでは両ゲートの間になんと7kmにも及ぶ緩衝地帯が横たわっているのだ。歩いて国境ゲートに到着した旅行者は、この7kmを移動するために、緩衝地帯内を走るトラックをヒッチハイクしなくてはならない。第4の関門は緩衝地帯の途中にあるキルギス2個目のチェックポストだ。スタンプを押すだけの出国審査と違って、ここではあからさまに賄賂を要求される。トラックドライバーは黙って100ソムを支払うことになっているようだ。一人200円でも100人から徴収すると2万円になり、かける300日で年600万円に上る。それだけでもキルギス人の平均年収の20倍に相当するし、一度このうまみを知ってしまうと元に戻れないだろう。もちろん旅行者は払う必要はない。
このチェックポストから第5の関門である中国側一つ目のチェックポストまでは2㎞あるが、ここは車列が続いているため徒歩移動になる。そしてそこから第6の関門である中国側ゲートまでは徒歩移動は禁止されており、またトラックをヒッチハイクする。このように車を降りたり、ヒッチハイクしたりを繰り返す必要があるのが煩わしい。







しかも中国側ゲートに到着してから最後の落とし穴が待っている。北京時間の14時30分から16時30分(キルギス時間の12時30分から14時30分)まで昼食休憩に入ってしまうのだ。サリタシュを早朝に出発したにも関わらず、ちょうどこのランチ休憩に引っかかってしまったため、2時間近く待たされることになった。それまでこの食堂も売店もないゲートのこちら側で待機しないといけないのだが、そこは下に対策ありの中国だ。鉄扉の向こう(中国側)の食堂から出前を注文できるのである。足止めを食らった人々が、鉄扉のすき間から食べ物や飲み物を受け取り、代金を同じように鉄扉のすき間から支払っていた。いやはやさすが中国と感心した。何から何まで変わった国境通過だった。

中国の入国審査は、荷物を軽く見るだけで終わった。厳しい入国審査に慣れてくると、逆に「これでいいの?」と拍子抜けしそうになる。商店で余った220キルギスソムを中国元に両替し28.6元を得た。ここからカシュガルまで公共交通はなくタクシー一択なので、シェアする人を見つけないといけない。だがなかなか人が集まらないので、キルギス人の青年と二人でタクシーをシェアすることになった。1人80元だから安く交渉してくれたのかなと思う。
道路のコンディションは想定以上に悪い。キルギス側が舗装路だったので、当然中国側もそうだろうと思い込んでいたのだが、非舗装のダートがしばらく続いた。景色は平坦で単調だった。振動でウトウトしていた。ドライバーとキルギス人の青年はずっと喋っている。彼らの言語は中国語でも英語でもなかった。ウイグル語かキルギス語で喋っているのだろう。青年は中国沿岸部に留学するために、漢字を3千字覚えたという。若い国のエリートの情熱には驚嘆すべきものがある。
カシュガルには21時45分に到着した。貨都賓館という招待所に泊まった。シングル40元。窓のない独房のような狭い部屋だったが、僕の手持ちで今夜払えるのはこれが限界だ。荷物を置き外に出て蘭州牛肉麺を食べた。懐かしい懐かしい味がした。この時、初めて蘭州麺を美味しいと思った。