こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

中央アジア72 サリタシュ出発

2011年9月5日

サリタシュの村に着いて、ドライバーはホームステイできる民家まで僕を運んでそこで別れた。ホームステイは1泊200ソム(400円弱)。立派な絨毯も敷かれているし、部屋が汚いという訳ではないのだが、先ほどの出来事が生々しく脳内に焼き付いてなかなか寝付けない。あの時は変なテンションだったから感覚が麻痺していたが、今思うと口封じされている可能性すらあったと想像すると恐怖が襲ってきた。
夜半、頻繁に尿意を催した。ただしトイレは屋内になく、家の外に出る必要がある。村に明かりはなかった。暗闇の中を手探りで歩くと、寝静まった村に生き物の息づかいを感じる。じっと目を凝らすと、たくさんの牛がこちらを見ていることに気が付いた。少し過敏になっているのか、思わずびくっとしてしまった。

6時頃からゆっくりと空が明るくなってきたので、少し村を歩くことにした。朝のサリタシュはおとぎ話に出てきそうな美しい村だった。村を小川が流れ、背の低い平屋の民家がぽつぽつと並ぶ。空気は冷たく、車のフロントガラスが凍っていた。小高い丘に登ってみると、周囲の山々がよく見渡せる。雪を頂いた山々は朝焼けで淡くピンクに色づき、神々しい雰囲気を纏っていた。かたや南西方面の大平原のスケールは圧巻とも言えるほど素晴らしいものだった。車でただ通過するにはあまりにも勿体ない村だと思う。


南方面の道は二股に分かれていて、向かって左側が中国新疆につながるA137で右側がタジクパミールハイウェイに続くM41だ。早朝だと言うのに、大型トラックが列をなしてA137を中国に向けて走っている。そこで僕はカシュガルへの足を確保しないといけないことを思い出し、慌てて宿へ戻りバックパックをピックアップしチェックアウトした。

道の分岐で車を拾うことに決めたものの、オシュに輪をかけて交通量が極端に少なく、30分待って車一台通過しなかった。さっきの車列で大型トラックはあらかた出払ってしまったのかもしれない。じっとしていると体が冷えてきたので中国側へ歩き出すことにした。数キロ歩いたところで何の意味もないが、実利を求めている訳ではない。この広大な大草原を眼下に歩くことそのものが贅沢なのだ。時々後ろを振り返りながらA137を進んだ。道中不意に便意を催し、周囲を見渡し車が来ていないことを確認した上で、道端で用を足した。村の汚いトイレでするよりずっと気持ちがいい。ふと、この村で生まれ生きていたならそれも悪くないなと思った。がんじがらめの価値観から一時的にせよ引き剝がされるのも旅の醍醐味の一つである。
宿を出てから1時間経って、ようやく一台の乗用車が通りがかったのでヒッチハイクした。中国との国境まで行くらしく、快く乗せてくれたのはいいのだが、見るからにポンコツのセダンに、前3人後ろ3人の計6人が既に乗っている。7人目はさすがに少々窮屈だった。
車は30分ほど走りユルトで朝食休憩を取った。ユルトの中には1歳ほどの赤ん坊とその母親がいた。透き通るように肌が白く丸いまなこの乳児を、多くの皺が刻まれ細い目をした母親が抱きかかえているのを見て、暮らしが顔貌にどのような影響を与えるかについて思いを馳せずにはいられなかった。つい先ほどはこの地に生まれていたならば、という願望を抱いていたが、決して楽な道ではないことを思い知らされた。我々は馬乳酒とパンを振る舞われた。胃袋で発酵させた馬乳酒をバケツに移し、そこから桶で一人ずつ丼に注がれる。味は少し酸っぱい。アルコール度数は低そうだが、1杯の量がそれなりにあるので数杯で十分酔いが回る。ドライバーもかなりの量を飲んでいたが、それがここの文化だ。



車のタイヤ交換が必要になったそうで、少し時間ができた。僕はユルトの周囲を散歩した。羊たちは柵の中で落ち着きなくひしめき合い、一方で馬は放し飼いにされ伸び伸びと草を食んでいた。空はどこまでも青く、遥か遠くの山の雪面が光を反射し顔を照らしている。この美しい風景がスポイルされることなく残ることを切に願った。